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新潟地方裁判所 昭和35年(ワ)111号 判決

原告 山岸利春

被告 電気化学工業株式会社

主文

原告と被告会社との間に昭和二二年八月一日成立の被告会社を傭主とする期間の定めのない雇傭契約の存在することを確認する。

訴訟費用は被告会社の負担とする。

事実

第一当事者双方のもとめる裁判

一  原告のもとめる裁判

主文と同旨の判決。

二  被告会社のもとめる裁判

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決。

第二当事者双方の事実上および法律上の陳述

一  請求の原因

1  被告会社は東京都千代田区有楽町一丁目一〇番地に本店を置き、新潟県西頸城郡青海町ほか三カ所に工場を設け、セメントの製造販売などを業とする株式会社であるが、原告は昭和二二年八月一日被告会社との間に被告会社を傭主とする期限の定めのない雇傭契約を締結して、その従業員となり、右青海町所在の被告会社青海工場(以下たんに「青海工場」という。)において守衛(通常「警備員」という。)として勤務していたところ、被告会社は原告にたいし昭和三四年六月三日付けで青海工場就業規則(昭和二九年六月一日実施)第一五四条第三号、第五号、第一一号および第一二号に該当する事実のあつたことを理由として原告を懲戒解雇する旨の意思表示をするとともに、糸魚川労働基準監督署に労働基準法第二〇条但書による解雇予告除外認定申請をしたが、同年八月六日右申請を取り下げ、同日付けで再たび右解雇と同一の事由をもつて懲戒解雇の意思表示をした。

2  しかしながら、原告には被告会社の主張するような懲戒解雇の事由に該当する就業規則違反の事実はないし、また被告会社が青海工場の従業員を懲戒解雇するには青海工場の労働協約(昭和三四年三月一一日実施)第五九条の定めるところにより賞罰委員会を設け、その協議を経たうえで処分するべきであるにもかかわらず、その手続を経ていないし、就業規則第一五一条第一項第五号により即時懲戒解雇をするには行政官庁の認定を経ることを条件としているにもかかわらず、該認定を経ていない。したがつて、いずれにしても前記懲戒解雇の意思表示は無効であり、原告は前記雇傭契約にもとづき昭和三四年八月六日から現在にいたるまで引き続き被告会社の従業員たる地位を有している。

3  しかるに、被告会社は右八月六日以後は原告をその従業員として取り扱わず、賃金の支払いも拒絶し、前記雇傭契約が引き続き存在することを否定している。

4  よつて原告は、被告会社と原告との間に前記雇傭契約の存在することの確認をもとめるため、本訴請求におよんだ。

二  請求の原因にたいする答弁

請求の原因第一項、第三項は認める。同第二項、第四項は争う。

三  抗弁

被告会社は昭和三四年八月六日付けで原告にたいし、青海工場就業規則および同工場守衛服務規定に定める懲戒事由に該当する後記1の事実があることを事由として、後記2の手続を経て、原告を懲戒解雇する旨の意思表示をした。

1  懲戒解雇の事由

(一) 職務怠慢など

(イ) 原告は昭和三二年一月二九日飲酒して出勤し、同日の午前〇時三〇分から同八時三〇分まで服務するいわゆるC番勤務に服していた際、警備員の職責である巡回を怠たり所定の職務を離れ青海工場正門詰所で惰眠したため、就業規則にしたがつて譴責処分に付され将来を戒しめられた。

(ロ) 原告は昭和三二年八月四日被告会社主催のリクリエーシヨンたる青海工場各部対抗の相撲大会に総務部の代表選手として出場し、かつ大会終了後の選手慰労会に出席して飲酒したが、右慰労会は同日午後四時前に終了し、当日はB番勤務で午後四時三〇分から出勤せねばならなかつたにもかかわらず、所定の出勤時刻より約四時間遅刻し同日の午後八時すぎに出勤したため、上司の組長が遅刻の理由をただしたところ、暴言を吐き戒められて退出した。

(ハ) 原告は昭和三三年五月二八日のC番勤務に服さねばならなかつたところ、所定の出勤時刻を一時間余りも遅れ、しかも酒気を帯び相当酩酊して出勤したため、上司より厳重な注意を受けて将来を戒しめられ、所定の勤務より除外された。

(ニ) 原告は青海工場の三号門に警備員として勤務中、エルケム電炉出入場者台帳の記帳方式をあやまつたため、上司より注意されたところ、暴言を吐き、上司の職務上の指示にしたがわなかつた。すなわち、エルケム電炉は被告会社がノルウエー、オスローにあるエレクトロス・ケミスク会社から購入した電炉であつて、わが国には未だ数台しか輸入されておらず、その特許上の秘密保持のため、被告会社において、「エルケム電炉出入場取締規定」を制定し、出入者を監視している。その具体的方法としては、エルケム電炉に入る作業員は青海工場の三号門詰所窓口で、警備員に自己の所属、氏名および登録番号を申告し、警備員はかねて作成し備え付けてある登録者名簿に照合したうえ、炉前作業者には帽章を、その他の者には腕章をそれぞれ交付して入場させ、エルケム電炉出入場者台帳には帽章および腕章についている番号と入場時刻をA番(午前八時三〇分から午後四時三〇分までの勤務)、B番(午後四時三〇分から翌日の午前〇時三〇分までの勤務)、C番(午前〇時三〇分から同八時三〇分までの勤務)の各別に色別けして記帳することになつているのである。しかるに、原告は警備員として前記三号門に勤務中、該門の警備員がエルケム電炉出入者の人員掌握を主要な任務とすることを良く知つておりながら、怠慢にもしばしば右出入者の色別記入をあやまつたり、あるいは出入場者台帳に記入しないことがあつたりなどして、原告の次番勤務者が引継を受けた際、当該電炉入場者の人員掌握などの確認につき支障をきたしたことが数回あつた。それで、昭和三三年六月一三日原告を直接監督する地位にある警備員秦野博が原告にたいして右出入場者台帳の記帳整理を完全にするよう注意したところ、原告は、「そんなにいちいち人のアラをいうなら、俺も人のアラを探してやる。」と放言し、かつその後南地区隊長(南地区警備責任者)二宮博から右秦野警備員がしたと同趣旨の注意を受けたが、その際も右と同様の放言をし、上司の職務上の指示にしたがわなかつた。

(ホ) 原告は昭和三三年一二月一四日A番勤務者として出勤していたところ、青海工場南門詰所において同詰所の責任者から工場四号門に勤務するよう命じられたが、A番勤務者を命じられた者は当然午前八時三〇分までには勤務場所に赴いていなければならないにもかかわらず、右時刻を過ぎても勤務場所である四号門に赴かず、同門の勤務についていなかつた。そのため折から工場より原石工場にむかつて進行してきた原石を積載した七両編成の貨物列車が四号門附近で同門の開扉をもとめて数回汽笛を吹鳴し、開扉信号を送つたにもかかわらず、警備員たる原告が職務怠慢により任務についていなかつたため開扉されなかつたので、右列車は四号門附近で急停車するのやむなきにいたつた。

(ヘ) 原告は青海工場火薬庫の警備に従事していた際、火薬庫に設置されている非常信号用外灯が非常事態の発生した場合緊急連絡のため点灯する目的で設置されていることを良く知りながら、火薬庫勤務を不満とし、かねてから同僚に「みんなが緊張して勤務しているかどうかを試すために、いつか非常用信号外灯をつけてやる。」と放言し、同僚の警備員訴外清水信に制止忠告されたにもかかわらず、ついに昭和三四年三月二三日これに点灯する暴挙をあえてした。そのため原告は譴責に付され上司より始末書を提出するよう命じられたにもかかわらず、これを提出しなかつた。

(ト) 原告は昭和三四年三月二八日年次有給休暇を請求するに際し、「薪割りをして右足に負傷したため」と虚偽の理由を申告し、翌二九日に行なわれた後記民主倶楽部の示威運動行進に参加した。また同年四月二五日にも「親族の建前のため」と虚偽の理由を申告して年次休暇を請求し、同日地方選挙の選挙運動に従事した。

(二) 流言ひ語

原告は昭和三三年以降、つぎのような趣旨の事実無根のことを述べ、もつて被告会社を非難する流言ひ語を流布した。

(イ) 「電化(被告会社の趣旨)は明星セメント誘致反対の理由として、国鉄北陸線の貨車輸送の混雑をあげているが、国鉄金沢鉄道管理局で輸送を円滑にするため一億円が必要であるとして、この一億円を電化および明星セメントで各五、〇〇〇万円ずつ負担するよう勧奨したにもかかわらず、電化はこれを断つた。」との虚偽の事実を流布した。

(ロ) 「会社(被告会社の趣旨)ではあまり従業員をいじめるので、瓦斯係の小野慎一がノイローゼになり警察問題となつた。製袋係の八木ユキエはおどかされて病気になつた。社宅居住者にたいしては、お祭の来客まで社宅係に届けろと強要するし、手紙を点検している。動物園の動物のように扱われ、人間らしい自由はひとつもない。」などと虚偽の事実を流布した。

(ハ) 「町議選挙の当日、会社は町内(青海町内の趣旨)四カ所の投票所の投票箱の傍に電化側の監視人をつけた。」との虚偽の事実を流布した。

(ニ) 「池田勤労係長は革新同盟の者に囲まれた。」、「いま病院で注射しているそうだ。」、「糸魚川で池田係長が殴られた。」との虚偽の事実を流布した。

(三) 経営方針背反

(イ) 経営方針について

(1) 被告会社はもともとカーバイド、石灰窒素、セメントなどの製造販売を中心として営業してきたが、昭和二八、九年頃より化学肥料工業自体の行きづまりから化学肥料偏重の従来の経営方針を塩化ビニール、メラミンなどの有機合成化学の生産に転換し、経営規模を拡大強化し企業体質の改善をはかる必要に迫られるにいたつたため、青海工場においても昭和三〇年秋頃より青海町の協力をえて長期総合計画にもとづき、青海町の田海、寺地の両地区に三〇万坪の工場用地を入手する予定を立て、その第一次計画として昭和三二年四月頃までに田海地区で用地約一〇万坪の買収を完了し、同所に塩化ビニール、メラミンなどを生産する有機合成化学工場(以下たんに「田海工場」という。)を建設した。ところが、訴外日本カーバイド工業株式会社、信越化学工業株式会社および昭和電工株式会社の三社が共同で昭和三二年中に訴外日本石灰石開発株式会社を設立し、ついで右三社は翌三三年さらに訴外明星セメント株式会社(以下たんに「明星セメント」という。)を設立し、被告会社の前記三〇万坪の工場買収予定地である寺地地区のなかで、しかも被告会社の右田海工場に隣接した土地にセメント工場を建設しようと企て強引な用地買収運動を始めた。右セメント工場建設計画は被告会社の企業活動にたいする積極的かつ悪質な妨害行為であつて、もしその計画が実現されるならば、(イ)被告会社の前記経営規模の拡大強化、企業体質の改善という長期経営計画の実現が工場用地獲得の面で著るしく妨害されるばかりでなく、(ロ)塵埃を絶対にさけなければならない性質をもつ有機合成化学工場である田海工場に隣近して塵埃を生ずるセメント工場が建設されるときは、被告会社における前記計画の第一着手として建設された田海工場の操業に極めて重大な障害をおよぼすとともに、(ハ)同じ青海町に青海工場と同様にセメントを生産する工場が建設されると、すでに輸送能力の点で飽和状態に達している国鉄北陸線の貨車輸送は、新セメント工場の出現による出荷の急増により麻ひ状態におちいるおそれがあり、かつ、(ニ)現在セメント工業界は過当競争の状態にあるから、同じ青海町内に新たなセメント工場が建設されるときは、その販路である近距離消費地において一層激烈な販売競争が行なわれることになり共倒れの危険をまねくなどという理由により、明星セメントの出現は被告会社に重大な損害を与えることが極めて明らかなことであるので、被告会社は企業防衛という本能的立場から明星セメントの進出に絶対反対するとの態度を決定し、これを経営方針の一環として外部に表明した。なお、右のような事項をもつて経営方針とすることが果たして許されるか否かにつき若干の疑いを抱くものがあるかも知れないが、そもそも経営とは企業の運営、実行、活動の意義にほかならず、また経営方針をもつて直ちに営業目的と解するのはまつたく早計狭量にすぎるし、経営主義経営政策と同意義であるとするのは不明確のそしりを免れない。よつてむしろ字義にこだわることなく素直に経営計画、経営目標、経営方向と理解するならば、被告会社が明星セメント進出反対を経営方針の一環として表明することは激しい生存競争場裡における会社の自衛上当然の措置というべきであるから、右のような事項をもつて経営方針とすることは何ら差し支えないところである。

被告会社では叙上の経営方針を決めるとともにこれを青海工場の全従業員に周知徹底させるため、昭和三三年春明星セメントの設立問題が起きた頃より同年八月頃にかけて青海工場長および被告会社代表者(取締役社長)名義をもつて明星セメントの工場建設に反対する理由や前記被告会社の経営方針を明記し、従業員の協力をもとめる趣旨を記載したパンフレツトや工場ニユースを全従業員に配布し、さらにその一環として同年八月以降数回にわたり原告ら警備員を含む一般従業員にたいし明星問題説明会を開催し、あるいは職場懇談会を開くなどして前記被告会社の経営方針を数一〇回にわたり説明した結果、三、五〇〇名の青海工場従業員はすべて前記被告会社の経営方針を知悉するにいたつた。このような被告会社の態度に呼応して、青海工場従業員によつて組織されている電化青海工場労働組合(以下たんに「組合」という。)も昭和三三年五月二八日の組合定期大会において、組合員の生活権擁護に直結する職場防衛、企業防衛という立場から自主的に明星セメント反対の決議をし、前記問題についての被告会社の方針に協力することを決定した。

(2) ところが、青海町の自由民主党系の町会議員である訴外戸田軍平は、明星セメント誘致を叫び誘致運動を有利にするため、昭和三三年三月頃から被告会社の従業員である原告および訴外加茂敏雄、長沢吾作、宮川久昭、山本善一ならびに被告会社のもと従業員である訴外青代勘一郎らを同志として糾合し、みずから明星セメント誘致運動の主宰的地位に立ち同年中に成立した工場誘致促進期成同盟会の幹部、町制刷新同志会、町政懇談会および民主化クラブ(これらの団体はいずれも明星セメント誘致派と目される人々によつて構成されている。)の主宰者となり、会員を獲得し、明星セメント誘致派(以下たんに「誘致派」という。)の勢力拡大に努め、被告会社の前記誘致反対活動を混乱挫折させ、明星セメントの誘致を有利に展開させようと謀つていた。他方、右誘致派の活動にたいして、明星セメント進出反対の目的のもとに明星誘致反対期成同盟、農地擁護連盟などの団体(以下たんに「反誘致派」という。)が結成され、互に激しい宣伝活動を展開し、青海町民もまた反誘致派と誘致派とに別れ騒然たる情勢になつた。そして昭和三三年一一、一二月頃より誘致派は昭和三四年四月三〇日に行なわれる青海町長や同町議会議員の改選を目的とする地方選挙において多数の同志を新議員に当選させて明星セメントの工場設立につき青海町の工場誘致条例を適用し、一挙に工場建設の計画を実現しようと企て、反誘致派は明星セメントにたいする工場誘致条例の適用を排除するため多数の議員を獲得する作戦をたて、青海町長および同町議会議員選挙をめぐつて両派互に活溌な前哨戦をたたかわせていたが、被告会社の青海工場従業員のなかにも被告会社の前記経営方針に協力するため反誘致派の町長および同町議会議員候補者を従業員のうちから選出しようとする運動が起こつたのである。

(ロ) 原告の利敵行為

(1) 原告は被告会社の前記明星セメント誘致反対の経営方針を十分に知りながら、前記訴外青代勘一郎、加茂敏雄、長沢吾作、宮川久昭、山本善一らと相互に提携し、訴外戸田軍平の傘下で明星セメント誘致運動を有利に導き被告会社の誘致反対運動を挫折させようと企て、昭和三三年四、五月頃から前記訴外戸田軍平宅にひそかに頻々と出入し、同年七月中に右訴外戸田軍平および右五名の者らと共同で右計画の実行方法を謀議し、誘致運動を有利に導くため、被告会社および組合をひ謗するビラを発行配布することを決定し、同年一二月八日および同月三〇日の二回にわたつて、被告会社の経営方針である企業防衛や被告会社と組合の協力態勢の事実を著るしく歪曲し、被告会社および組合の幹部を激しく非難し被告会社と組合との離間を策し被告会社とその従業員の内部結束を乱すことを使そうするような趣旨の記載のあるビラを「電化従業員革新同盟」なる名義で発行し、主として被告会社の従業員に配布した。

(2) 原告は前記誘致派の同志とともに訴外戸田軍平宅で会合していることが被告会社に知られることをおそれ、昭和三四年三月一〇日会合場所を糸魚川市内の相沢飲食店に移し、同所で同日以後、誘致派の同志のほかその後参加した若干名の者と数回会合を開き、被告会社が青海工場内で会社の経営方針にしたがわない従業員にたいし不当な圧迫を加え人権をじゆうりんしているなどという趣旨の虚構の事実を述べ、右人権にかんする問題の資料を集めて被告会社の非行を摘発し暗い職場の空気を明るくしようと相談したうえ、同年三月三一日右資料を集めるためビラを発行することを決定し、電化従業員革新同盟の名称を「職場を明るくする会」と改め(同会は前記革新同盟に若干の加盟者が加わつて構成されたものであつて、その本質は革新同盟と同一である。)、職場を明るくする会なる名義をもつて、被告会社がほしいままに横暴をふるつている旨の虚構の事実を前提として被告会社および組合の幹部を非難攻撃する内容のビラを昭和三四年四月から同年八月頃までに七回発行し、被告会社従業員およびその他に配布した。

(3) 原告は、(イ)昭和三三年四、五月頃明星セメント誘致活動を目的とする工場誘致促進期成同盟会、町政懇談会、町政刷新同志会、民主化クラブおよび青海町自由民主党青年部などに加入したが、(ロ)翌三四年一月二四日自由民主党青海支部の役員会に出席して被告会社の明星セメント進出反対の方針をひ謗し、(ハ)さらに同年二月七日に同役員会に出席した際には、被告会社が明星セメント誘致賛成者に尾行をつけるから、逆にその尾行に尾行をつけてこれを阻止するとともに、その非行について証拠資料をしゆう集するようにつとめるべきだとの趣旨の提案をし、(ニ)また同年六月二二日前記訴外戸田軍平とともに町政懇談会に出席し明星セメント誘致を画策した。

(4) そのほか原告は、(イ)昭和三三年五月二八日訴外戸田軍平より被告会社に出入する外来者を内偵尾行し、その動静をメモして同訴外人に提供するよう要請されたところ、その要請に応じ同年一二月三〇日頃青海工場警備隊長が原告ら警備員の職にある者に示した秘密指令(部外秘)をひそかに書き写して右訴外戸田に提供し、(ロ)同三四年一月二九日には青海工場備え付けの社宅係員カード、警備係員カード、従業員名簿、異動通知書をひそかに調査し、その調査結果を訴外戸田に提供した。

(四) 結語

原告の前記(一)(ただし、そのうち(イ)を除く。)ないし(三)の各行為は、就業規則第五条に定める従業員一般の職務遂行義務に違反し、とくに原告のように警備員の職にあるものは同規則第六条、第二四条に定める特殊勤務者としてつくすべき特別の服務規則たる守衛服務規定第五条の任務遂行、同第一五条の入場禁止、同第三四条門衛勤務の義務に違反し、就業規則第二一条に定める誠実義務に背反し、同第三五条第一項第二号の規定時間、同第三号の交代の場合、同第四号の作業開始、同第五号の器具の取扱、同第八号の遅刻職場離脱の禁止、同条第二項の安全作業および保安にかんする職場規律に違背し、同第三六条第一号の従業員相互の協力、同第二号の上長の指示命令の遵守、同第三号の会社の経営方針に順応、同第五号の届出の真実申告、同第一一号の流言などの禁止、同第一二号の粗暴な振舞禁止にかんする服務心得にそれぞれ違反したものである。しかも前述のとおり、原告は数回にわたつて注意戒告を受けたにもかかわらず、いささかの反省のいろもなく繰り返し行なつたものであつて、改悛の見込みがなく情状の重い違反行為というべきである。

以上のような原告の行為は著るしい職務怠慢行為ならびに経営方針背反行為、すなわち極めて悪質な利敵背信行為というべきであり、就業規則第一五四条第三号にいう「業務に怠慢で、改悛の見込みがないとき。」、同第五号にいう「職務に関する上長及び取締の任にある者の命令に服しないとき。」、同第一一号にいう「前条各号の行為が再度に及ぶか又は情状が特に重いとき。」にそれぞれ該当するので、これらを総合して同規則第一五一条第一項第五号を適用して、原告にたいし懲戒解雇に処する旨の意思表示をしたのである。

2  懲戒解雇の手続

(一) 懲戒解雇手続と労働協約第五九条の適用(懲戒委員会の性格)

(1) 本件懲戒解雇手続にかんしては労働協約第五九条の適用がなく、したがつて同条所定の賞罰委員会を開いてこれを議する必要はないので、これを開かず、被告会社の内規により解雇の権限を与えられている青海工場長が独自に本件懲戒解雇をしたのである。ただ青海工場長は懲戒解雇という事柄の重大性にかんがみ判断の公正と慎重を期するため、とくに同工場長の諮問機関として懲戒委員会を構成し、昭和三四年六月一日原告から事情を聴取し違反事実にたいする弁明の機会を与え、前記解雇事由の有無などにつき慎重に検討し、右委員会の答申にもとづき同工場長が本件懲戒解雇を決定したのである。

(2) 前記のとおり本件懲戒解雇手続にかんしては労働協約第五九条の適用がないが、その理由は以下に述べるとおりである。

労働協約の規範的部分、すなわち労働条件や待遇にかんする基準が組合員に適用されるのは当然であるが、そのほか同じ工場内にあつて組合に加入していない同種にして全体の四分の一以下の少数従業員に該協約の規範的部分の効力が自動的に拡張されることを定めたのが労働組合法第一七条である。そこでまず原告が右法条にいう「同種の労働者」にあたるかどうかを考えてみるに、協約が会社の従業員の全階層をねらつて締結されたものであるから、守衛である原告も一応「同種の労働者」といえそうであるが、がんらい守衛は会社の財産保全、秩序風紀の維持、警備保安にあたる職務権限を有するものであるため、労働組合法第二条第一号にあげる「監督的地位にある労働者若しくは使用者の利益を代表する者」に該当する性格をもつものというべきであつて、これをもつて「同種の労働者」といえないことは明らかである。

つぎに労働組合法第一七条によつて労働協約の拘束力適用が拡張されるのは、協約の全部についてではなく、いわゆる規範的部分である労働条件や待遇に関する基準だけであつて、いわゆる債務的部分についてはおよばない。従業員の解雇、懲戒にかんする部分はたやすく規範的部分とはいえないであろうが、仮にこれに属するとしても、協約自体にその一定基準を協定する必要があり、ただたんに、「組合と協議する」とか、「組合の同意を得て」とか、「組合の承認を要する」とかだけでは客観的に基準を定めてあるとはいえないので、規範的部分に属しない。ところで、被告会社と組合との間の協約第五九条の組合員の賞罰については、「賞罰委員会において協議する。」とあり、同第六〇条の解雇基準についても、「連合会又は単位組合と協議する。」と規定するだけで、一定の基準が示されていないため、この点についてはむしろ債務的部分として労働組合法第一七条により拘束力を拡張できないものというべきである。したがつて、原告にたいする懲戒解雇手続を行なうにつき労働協約第五九条の適用があるとする主張は根本的にあやまつている。

(二) 懲戒解雇と解雇予告との関係

被告会社がその従業員を懲戒解雇するには、就業規則第一五一条第一項第五号により行政官庁の認可を得て即時解雇するか、あるいは解雇予告手当などを支給して即日解雇しなければならないのであるが、被告会社は原告を懲戒解雇するにあたり、当初は右の解雇手続のうち行政官庁の認可を得て即日解雇する方法をとり、昭和三四年六月三日糸魚川労働基準監督署に解雇予告除外認定申請をするとともに原告にたいして解雇の意思表示をしたが、その後右の方法を変更し解雇予告手当などを支給して即時解雇することにし、同年八月六日右申請を取り下げたので、被告会社の前記六月三日付けの懲戒解雇の意思表示は糸魚川労働基準監督署の認可が得られず、その効力を発生するにいたらなかつた。そこで被告会社は右除外認定申請を取り下げた日の昭和三四年八月六日にあらためて原告にたいし前記1の解雇事由にもとづき懲戒解雇の意思表示をすると同時に、右八月六日までの給与および諸手当とともに解雇予告手当を原告に提供したため、懲戒解雇の効力が完全に生ずるにいたつたのである。なお、原告が右予告手当などの受領を拒んだので、同月一二日これを新潟地方法務局糸魚川支局に弁済供託した。

3  結論

上述のとおり被告会社が原告にたいしてした懲戒解雇については原告の就業規則違反を原因とするものであつて実体的な理由があり、かつ手続の面においてもまつたく適法であるから、前記懲戒解雇の意思表示のあつた昭和三四年八月六日かぎり原告と被告会社間の雇傭契約は終了したものというべきであり、原告の本訴請求は失当である。

四  抗弁にたいする答弁

1  懲戒解雇の事由

(一) 職務怠慢など

(イ) 抗弁1の(一)の(イ)の事実は認めるが、飲酒するにいたつた事情はつぎのとおりである。すなわち、原告は昭和三二年一月二八日午後七時頃被告会社の勤労係長池田幾郎の自宅に入社以来はじめて呼ばれ、同訴外人宅で原告所有の土地を被告会社の工場用地として買収したいから協力するようにとの要請を受けたが、その際同係長より酒を勧められた。原告は翌日の午前〇時三〇分より同八時三〇分まで勤務するC番勤務であつたため、その旨を告げて固辞したところ、右池田係長において「俺のところで飲んだのだから、会社に行つても大丈夫だ。」などといつて、なおも勧めたので、同係長は原告の上司でもあり、その承認を得たものであるから、安心して飲酒した。ところが、たまたま右同日のC番勤務中惰眠したため、上司の警備係長丸山忠保より譴責されたが、原告は前記事情を述べないまま始末書を同係長に提出した。それで後日前記池田係長に右の経過を話し、不満を訴えたところ、「大丈夫だ心配するな。」といわれたが、果たせるかな同年四月の定期昇給の際には、右のように譴責の事実があつたにもかかわらず、かような場合につき通常行なわれる昇給額の減額も行なわれず定額昇給した。右昇給のあつた後、池田係長が「こんどの昇給は何でもなかつただろう。」と述べたので、原告は「どうもどうも。」と答えておいた。これらの事情からみても明らかなように、被告会社主張の譴責処分にかかる事実は右定期昇給によつて宥恕されたのである。

(ロ) 抗弁1の(一)の(ロ)の事実のうち、原告が被告会社主張の日に同会社主催の相撲大会に出場し、同大会終了後飲酒したことは認めるが、その余の事実は否認する。すなわち、昭和三二年八月四日午後一時より同日午後五時まで行なわれた右相撲大会に原告はその所属する青海工場総務部より選ばれて選手として出場したが、同部が右大会で優勝したので同日午後五時三〇分より同日七時三〇分頃まで開かれた祝勝会に原告も出場選手として出席し、原告の直属の上司である丸山警備係長らとともに祝杯をあげた。祝勝会に出場選手である原告が出席するのは当然であり、そのため同日のB番勤務につくことができなかつたので、同日は年次有給休暇をとつて休養したのであり、そのために被告会社の業務に支障をきたしたことはない。

(ハ) 抗弁1の(一)の(ハ)の事実は否認する。原告は昭和三三年五月二八日には年次有給休暇をとつて休養したのであり、それがため被告会社の業務に支障をきたした事実はない。

(ニ) 抗弁1の(一)の(ニ)の事実のうち、原告がエルケム電炉出入場者台帳の記帳方式をあやまつたことおよび二宮南地区隊長より注意を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。原告が右のような記帳のあやまりをおかしたのは、つぎのような事情によるのである。すなわち、原告は昭和三二年中にもエルケム電炉の警備についたことがあつたが、それより一年余を経過した同三三年六月一二、三日頃ふたたび右電炉の警備を命じられた際、原告の上司である斉藤正美組長に、かつて原告が勤務していた当時と再度原告が勤務した昭和三三年六月とで警備要領になにか変つたところがあるかどうかを尋ねたところ、右組長は「エルケム電炉作業員に渡す腕章が帽章に変つた。また外来者の取り扱いについての許可は変らないが、腕章の色が青色になつただけで、ほかには別に変つたところはない。」と説明されたので、原告としては電炉出入場者台帳の記帳方式にも変更がないものと信じ昭和三二年に勤務したときと同様な方法で記帳していたところ、昭和三三年六月一四日頃二宮南地区隊長に記帳のあやまりを指摘され注意を受けたのであるが、その時も前記斉藤組長が原告のいるところで右二宮隊長に「その記帳要領のことは原告に聞かしておらなかつた。」といつてくれたことがある。それ以後は記帳のあやまりをおかしたことはないし、また前記のような記帳のあやまりもエルケム電炉警備の主要な任務である出入人員の把握については何らの支障をもきたすことはなかつたのであるから、前記の行為は過失にもとづく軽微な行為というべきである。なお原告が右の点にかんして上司の指示にしたがわなかつたなどということはない。

(ホ) 抗弁1の(一)の(ホ)の事実のうち、被告会社主張の日時(ただし時間は午前八時三〇分前)にその主張のとおり貨物列車が停車したことは認めるが、その余の事実は否認する。昭和三三年一二月一四日原告は南門のA番勤務を命じられていたので、定時の出勤時間たる午前八時三〇分までに南門の詰所に出勤し、四号門勤務を命じられ(南門勤務の者はさらに三号門、四号門、セメント詰所および南門の四部署に勤務場所を指定される。)、午前八時三〇分過ぎに右南門より徒歩で約三分間を要する四号門に到着した(勤務割当から四号門に到着する間最少限に見積つても一〇分以上はかかるであろう。)ところ、すでに被告会社主張のとおり貨物列車が四号門附近で停車していた。したがつて、右列車の停車は原告の勤務前のことであるから原告にはいささかも責任がないのであり、しかも右列車の停車は事故というほどのものではなく、現に右列車の機関士渡辺正己は該停車の事実を上司に事故として報告してもいない。

(ヘ) 抗弁1の(一)の(ヘ)の事実のうち、原告が被告会社主張の日時に火薬庫の非常用信号外灯に点灯したこと、および右行為のため譴責され始末書の提出を命じられたことは認めるが、その余の事実は否認する。右の点灯行為はつぎのような事情にもとづいてしたものである。すなわち、火薬庫は青海工場の南門より青海川を越えて徒歩で約一五分、工場が建つている地点より約四、五〇メートル高い人里離れた山腹に建てられており、その詰所と外部との連絡用に以前は電話が取りつけてあつたが、原告が同詰所に勤務についた当時には電話が取りはずされていて外部との連絡方法としては五〇〇ワツトの非常用信号外灯によるほかはない状態であつた。右火薬庫勤務は一時廃止されていたが、昭和三四年二月二三日に復活され、主に火薬庫用地内に部外者が侵入しないよう監視警戒を厳にし、火災発生を防止することなどを目的とするため、その勤務は他の警備に比し重要性を有する関係上、健康で屈強なしかも警備員として優秀なものをこれに当らせるという条件のもとに原告と訴外清水信が選ばれ、両名が交替で右火薬庫詰所にA番およびB番の勤務につくことを命じられた。火薬庫勤務者の主要な任務は、該火薬庫の巡回をし、巡回時間などを巡回簿に記入することであるが、昭和三四年三月二三日原告が右火薬庫にB番勤務者として同火薬庫を巡回中、原告の腕時計がとまつていることを発見した。ところが前記のとおり火薬庫は人里離れた山腹にあつて、正確な時間を人に尋ねることもできない状態にあり、警備員として巡回時間を巡回簿に記入するためには正確な時刻を知る必要があつたので、やむなく非常用信号外灯を点灯して南門などに勤務中の警備員に連絡し、南門の警備員の来訪によりようやく正確な時刻を知り巡回簿に記入することができたのである。そもそも火薬庫勤務は時刻の正確性がその巡回において重要視されるのであつて、火薬庫に問題が起きてからこれを連絡したのでは何ら効果がないから、予防措置こそもつとも重要なことである、もし被告会社のいうとおり時間が不明確なままで勤務したら一体どのようなことになるであろうか、時計がとまつたことは原告の不注意であつても、その当時において時刻を確認するための措置としては非常用信号外灯を点灯する以外にはその方法がなかつたのである。したがつて、原告の前記点灯行為は真に適正妥当な職務行為であり、何ら非難されるところはなく、むしろ原告の適切な処置によつて異常のなかつたことを被告会社としては喜ぶべきであろう。もつとも、上司より非常用信号外灯をつけ警備係を騒がせたから始末書を提出するよう命じられたので、前記点灯の理由を書き、これに理由書と題して提出したところ、その受領を拒否された。もし始末書の提出に応じなければ就業規則によつてさらに懲戒が行なわれる筈であるが、原告は右始末書不提出を事由として重ねて懲戒処分に付されたことはない。

(ト) 抗弁1の(一)の(ト)の事実のうち、原告が昭和三四年三月二八日に被告会社主張のような理由にもとづき年次有給休暇をとつたことは認めるが、その余の事実は否認する。原告は昭和三四年三月二七日頃薪木を取りに山に行つて足を切り負傷したため、翌二八日有給休暇をとつたのである。右同月二九日とくに頼まれて自由民主党青年部の公明選挙の宣伝カーに乗車したことはあるが、民主化クラブの示威運動に参加したことはない。また同年四月二六日には近隣の訴外吉見三治の建前を手伝うため年次有給休暇を取つたことはあるが、被告会社主張のように同月二五日に休暇を取つたことはない。もつとも右建前には母と交代して原告は青海町議会議員選挙に立候補していた訴外戸田軍平の選挙運動に従事した。

それはともあれ、もともと労働者の年次有給休暇請求権は形成権であつて、制度の本質上休暇請求の理由およびそれに対する使用者の許可などは不必要なものであるから、年次休暇の届出義務違反にかんする被告会社の主張は主張自体失当といわなければならない。仮にその理由が必要だとしても、原告は現実に負傷していたのであり、建前の手伝いが必要であつたのであるから、何ら違法性はない。もし被告会社において従業員の請求によつて年次有給休暇を与えた場合、いちいちその理由と実際の行動とが一致するかどうかを調べているとすれば、越権行為も甚はだしく、そのような被告会社の労務管理は強く非難されねばならない。

(二) 流言ひ語

抗弁1の(二)の事実はすべて否認する。昭和三三年以降、被告会社が主張しているような事実にかんする噂が青海町に流れており、「恐怖の町オオミ」「石も叫ばん」と題するパンフレツトおよび週間公論などに掲載されただけでなく、青海町選挙管理委員会がその事実を調査し、衆議院法務委員会などで問題にされたことはあるが、原告が右のような事実を流布し、被告会社をことさら非難したことはない。また右の事実は被告会社の主張するように事実無根のことではない。

(三) 経営方針背反

(イ) 抗弁1の(三)の(イ)の事実のうち、被告会社が明星セメント進出反対の態度を経営方針とし被告会社の全従業員に周知徹底させたこと、町政刷新同志会、町政懇談会および民主化クラブが明星セメント誘致派によつて構成され明星セメント誘致のための運動をしたこと、原告その他数名の者が訴外戸田軍平とともに右誘致運動に参画したことは否認する。昭和三三、四年にかけて原告主張のとおり明星セメント誘致派と同反誘致派の間で地方選挙をめぐつて激烈な選挙戦が行なわれたことは認めるが、その余の事実は知らない。

(ロ) 抗弁1の(三)の(ロ)の事実のうち、原告が工場誘致促進期成同盟会、町政刷新同志会および青海町自由民主党青年部に加入し、昭和三四年一月二四日および同年二月七日自由民主党青海支部役員会に、同年六月二二日町政懇談会にそれぞれ出席したこと、昭和三四年三月一〇日に被告会社の従業員ほか数名の者と職場の空気を明るくする方法を相談し、同年四月から八月までの間に数回にわたり「職場を明るくする会」の名義でビラを発行し配布したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(ハ) 青海町はその近傍に良質の石灰石を無尽蔵に埋蔵する黒姫山をひかえているため、同町議会で工業都市建設の大方針のもとに工場誘致条例を制定し、工場誘致の運動を積極的に進めているのであるが、原告も青海町民の一人として右石灰石を採掘しこれを工業原料とする工場が青海町に続々と建設され石灰石の開発が行なわれることは青海町の発展に寄与するところ大であると考え、さきに被告会社が昭和三〇年に田海工場用地の買収を計画した際には原告所有の土地一反七畝一三歩、原告の父である訴外山岸政勇所有の土地二反七畝歩をそれぞれ被告会社に売り渡したほか、同三三年明星セメントの工場建設が計画されるや前記青海町の大方針にしたがい明星セメントの土地買収にも協力し工場誘致に力をつくしたことはあるが、右の協力行為は原告が被告会社の従業員たる地位にあつても、青海町民として当然許容されるべき行為である。また被告会社は明星セメント進出反対は会社の経営方針であると主張するが、そもそも明星セメント進出反対ということは被告会社の目的範囲外の事項であり、かかる事項を会社の経営方針とすることは妥当をかくものといわなければならない。仮に右の事項が被告会社の経営方針の一環になるとしても、就業規則所定の会社構内での政治活動にあたらないかぎり右経営方針の故をもつて従業員の私生活や政治活動を制約することは許されないところである。被告会社主張の自由民主党青海町支部、民主化クラブ、町政懇談会への出席およびそれらの団体内での活動は政治活動であつて、かかる活動を会社の経営方針違反として禁止する行為は憲法に違反し無効である。

(四) その他

仮に原告の前記行為が就業規則に違反するとしても、これまで被告会社がその従業員を懲戒解雇をしたのは、いずれも殺人、強盗、強姦などという極めて悪質な犯罪を行なつたものに限られている。窃盗の場合につき依願退職の処置をとり、住居侵入により罰金刑を受けても僅か出勤停止一〇日間の処罰で終つた事例もあり、とくに暴行傷害により罰金刑に処せられた警備員は処罰の対象にさえならなかつたことがある。これらの点からみても、本件懲戒解雇は著るしく不平等であることが明らかであつて、右懲戒解雇の意思表示は無効である。

後に述べるとおり、被告会社は糸魚川労働基準監督署にたいし原告につき懲戒予告除外認定申請をしたため、同署で二カ月間の長きにわたり証拠調をしたにもかかわらず遂に認定を得られなかつたが、これは申請の事由が解雇事由に該当しないものと認められたからにほかならないから、仮に被告会社主張のとおりの事実があつたとしても解雇に値しないものであることが推認される。

(五) 結語

以上のとおり原告は被告会社の主張にかかるような就業規則違反行為をしたことがなく、そのため懲戒解雇されるに値いする事実はない。

2  懲戒解雇の手続

(一) 抗弁2の事実のうち、原告が非組合員であること、被告会社がその主張のとおりの経過を経てその主張の日時に二回にわたつて原告にたいし懲戒解雇の意思表示をしたことは認めるが、その余の事実はすべて否認する。

(二) 本件解雇手続には、つぎにあげる瑕疵があるため無効である。

(イ) 懲戒解雇手続と労働協約第五九条の適用(賞罰委員会との関係)

本件懲戒解雇は、これを行なうにあたり、労働協約第五九条所定の賞罰委員会の手続を経ないでしたものであるから無効である。すなわち、原告の職種は守衛であり、その身分は工員であつて、労働協約第一一条により非組合員とされているが、青海工場に勤務する従業員三、六二一名のうち三、三三四名の者が組合員になつており、右労働協約の適用を受けているのであるから、工員たる身分を有し、右組合員と同種の労働者である原告にも労働組合法第一七条により右の労働協約が当然に拡張適用され、したがつて原告を解雇するには同協約第五九条に定めるところにより賞罰委員会の手続を経たうえで処分を決められるべきである。ところが、被告会社は原告が非組合員であるから労働協約の適用を受けないとか、あるいは賞罰委員会を開いても非組合員の懲戒問題であるから組合側委員の出席は期待できないため同委員会を開催することが不可能であり、その意味においても適用されないなどと強弁して賞罰委員会を開くことをしなかつた。もつとも被告会社としても、処分の公正と慎重を期するため右賞罰委員会にかわるべきものとして、工場長をはじめ監督的地位にある数名の者をもつて構成員とする懲罰委員会を開き、原告に弁解の機会を与えたと主張するが、右委員会で付議されたのは昭和三四年六月三日付けの解雇のみであつて、同年八月六日付けの解雇については懲罰委員会さえ開かれておらず、したがつて原告にたいして弁解の機会すら与えることをしなかつた。

(ロ) 懲戒解雇と解雇予告との関係

懲戒解雇にかんして規定する就業規則第一五一条第一項第五号は、その方法につき、「(イ)予告期間を設けず、行政官庁の認定を経て、即日解雇する。(ロ)解雇予告手当及び退職手当は、支給しない。但し、情状により、退職手当の一部を支給することがある。」と定めているため、被告会社がその従業員を解雇するには行政官庁に解雇予告除外認定申請をし、該官庁の認可を得て始めて懲戒解雇しうるものであるところ、被告会社は自ら認めるとおり、昭和三四年六月三日付けをもつて懲戒解雇の意思表示をし、同日付けで糸魚川労働基準監督署に解雇予告除外認定申請をしたが、同監督署において二カ月も申請どおりの認定をせず、解雇事由の不存在が明らかとなるや、にわかに同年八月六日付けで右申請を取り下げるとともに前記六月三日付けでした懲戒解雇の意思表示を撤回したが、即日右六月三日付けの解雇事由と同じ理由をもつて懲戒解雇の意思表示をし、同日までの給与、諸手当および解雇予告手当を支給したのである。

以上のような事実関係を精細に検討すると、(1)昭和三四年六月三日付けの懲戒解雇の意思表示は行政官庁の除外認定を停止条件として解雇したものとみるべきところ、右認定の申請が同年八月六日付けで取り下げられたため、その停止条件は不成就となり、原告にたいする懲戒解雇の意思表示は撤回されたのである。(2)しかるに、それを再びまつたく同一の事由にもとづき、何ら新らしい事実がないにもかかわらずなされた本件懲戒解雇の意思表示は当然無効である。(3)そもそも就業規則は労働基準法第九三条によつていわゆる直律的効果を与えられているものであつて、同法の規定する基準以上の労働条件については当然にその効力が従業員におよぶものなるところ、就業規則第一五一条はその懲戒解雇について特別に基準以上の規定をしているのであるから、同規定により行政官庁の解雇予告除外認定を得ることが、懲戒解雇をするについての絶対的な効力要件である。換言すれば、被告会社が懲戒解雇者にたいして解雇予告手当を支給することによつて右認定が免除されるべきものではないから、被告会社が行政官庁の除外認定を得ないでした前記八月六日付けの本件懲戒解雇の意思表示はその要件を欠き、就業規則違反であつて無効である。もつとも、被告会社は懲戒解雇の除外認定による即時解雇と予告手当支給による懲戒解雇との二種の懲戒解雇方式があると考えているかのようであるが、それは誤解であつて前者のみにかぎるのである。

3  結論

上述のとおり被告会社が原告にたいして昭和三四年八月六日付けでした懲戒解雇の意思表示については実体的な解雇事由がなく、またその手続の面にも重大な瑕疵があるため、右意思表示は無効であり、被告会社の抗弁はすべて理由がない。

五  抗弁にたいする答弁についての反論

1  年次有給休暇の請求について(前記、四の1の(一)の(ロ)(ハ)および(ト)参照)

労働者から年次有給休暇の請求があるときは、使用者としては休暇を与えねばならぬ拘束を受けるものではあるが、請求された時期に休暇を与えることが事業の正常な運営を妨げるおそれのあるときには、これを他の時期に振りかえる権利(変更権)を持つているから、休暇請求権をもつて単純な形成権とみることはできない。それゆえ、休暇の請求は定められた労働日に労働義務の免除を要求する不作為請求権と解すべきであるから、労働者の一方的な通告だけでもつて直ちに労働義務免除の効果は発生せず、使用者の承認を必要とするのである。もともと年次有給休暇は労働者が使用者のために労働することを約し、使用者の処分にゆだねられた労働管理過程のなかにおいてその時期が決定されるべきものなるところ、そのような労働秩序のもとにおいて就労から解放した状態を作り出す時期は、これを使用者にかからせる必要のあることは労働基準法第三九条の趣旨からみて当然である。そして、この休暇制度が労働力の維持培養という生産性にたいする考慮から認められたものである以上、使用者の時期変更権を発動するか否かを業務の正常な運営と労働者の休暇を必要とする事由との比較衡量にかからせるため労働者に真実の理由申告を要請しうることは、使用者の企業指揮権から当然に派生するものというべきである。してみれば、労働者が年次有給休暇を請求する際には、真実の必要事由を使用者にたいして申告する義務があり、反面において虚偽申告は就業規則違反となるのである。なお、原告が昭和三二年八月四日および同三三年五月二八日の両日遅刻して出勤し勤務から除外された際、上司の取り扱いでこれを年次有給休暇に振りかえることを承認したが、それは勤務に就けられなかつた後の取扱結果であつて、当初からの休暇でなかつたことは明白で勤務怠慢の事実はとうていこれを覆い隠せるものではない。

2  貨物列車の急停車と始業時刻との関係について(前記、四の1の(一)の(ホ)参照)

原告は前記のとおり、事件当日原告が四号門の勤務割当を受け同所に到着したときには既に貨物列車が停車しており、停車したのは午前八時三〇分以前であつたと答弁し、かつ原告本人尋問の際に、「たとえ午前八時三〇分以後に機関車が停車したとしても、原告はその時刻には四号門に到着して就業する義務はなく、現場における交代時前に発生した事故にたいする責任はない。」と弁解しているが、これはあやまりである。

そもそも交代勤務はその性格上所定の始業時刻から実働就業するもので始業時刻までに工場に入場すればよいというものではなく、換言すれば勤務者は始業時刻には各自その担当職場で申し送り引継ぎを受けて交代することが義務づけられているのである。原告はこの点につき、「勤務交代のときには互に早目に出勤して引継を終えることになつている」と主張しており、それは正しい認識であるが、「出勤時間までには引継を終えることになつている。」という主張は認識不足である。原告は自認するとおり事故当日の午前八時二五分にはすでに南門詰所に到着しており、責任者から当日の配置割当を四号門勤務と指示されたのであるから、原告がこれにしたがつておれば遅くとも八時三〇分までには四号門に到着できたはずであり、列車停止の事故が起らなかつたであろう。列車の停止した時刻が原告の主張するとおり午前八時三〇分以前であつたか、被告会社の主張するとおり午前八時三〇分以後であつたかについては証拠判断にまつほかはないが、当時四号門勤務は午前八時三〇分から午後四時三〇分までの日勤だけであつたため、朝の交代勤務はなく、その前番者からの申し送りを受けることはあり得ないし、列車は通常午前八時三〇分すぎには四号門を通過して原石工場に行くことになつているのである。しかるに、原告は前記のとおり、「たとえ午前八時三〇分以後に機関車が停車したとしても、それは現場における原告の交代前に発生した事故だから原告には何らの責任もない。」と抗弁しているが、これは笑うべき自殺論である。

3  非常信号用外灯の点灯と職務行為との関係について(前記、四の1の(一)の(ヘ)参照)

火薬庫に設置されている非常信号用外灯が非常事態の発生した場合の緊急連絡のために点灯すべきものであることは、原告の良く承知するところであつて、たんに時計がとまつたというような事態が非常事態でないばかりでなく、時計がとまつたために巡回簿に正確な時刻を記入できないこともとうてい非常事態とはいえない。かような場合にあつては、巡回簿に時刻を記入しなくても警備員としての職務遂行に怠慢ありと非難されることはない。これは被告会社にたいする一種の極めて悪質ないやがらせか、その狼狽ないし影響を明星セメント問題に利用しようとする意図に出たものに相違ない。

4  懲戒解雇と解雇予告との関係について(前記、四の2の(二)参照)

被告会社がいつたん申し立てた解雇予告除外認定申請を取り下げたことにより、当初昭和三四年六月三日付けでした懲戒解雇はその効力を生ずるにいたらなかつたが、右取り下げをもつて解雇の意思表示を撤回したことにはならないし、懲戒原因にたいする責問権を放棄したことにもならない。また被告会社としてはそのような撤回や放棄の意思表示をした事実はない。

就業規則第一五一条は懲戒の厳重処分として即時解雇することの原則を強調明示しているが、労働基準監督署の予告除外認定を要件としているものではない。右条項における表現文言に、「行政官庁の認定を経て」とあるのは、冒頭の「予告期間を設けず」の字句を受けて説明する文法形式をとつたにすぎず、規定の重点を最後の「即日解雇する」においたものである。文体自体および表現方法とも必らずしも的確明瞭とはいえないかも知れないが、制定の趣旨ないし精神はまさに、「即時解雇する」ことを強調したものである。懲戒処分としての即時解雇であつても解雇の概念に属する以上、法定の解雇制限にしたがわねばならぬのは当然のことである。被告会社としては、懲戒処分として解雇する場合であるから、従業員の責に帰すべき事由にもとづく解雇に該当すること、ならびに予告もせず解雇手当も支払わないで解雇するには行政官庁の認定を受けなければならぬことを十分に意識して制定にあたつたのであるが、これらの諸点を詳細明確に表現することの冗長を避け、労働基準法第二一条第一項但書と同第三項の骨子を圧縮して成文化したのが就業規則第一五一条であるが、その表現不足が原告の乗ずるところとなつたのである。しかしながら、もし原告の主張するように除外認定を解雇の絶対的要件と定めたものであるとすれば、被告会社は懲戒権や解雇権を行政官庁に移譲したような不合理な結果となるわけであるが、被告会社がそのような自縄自縛的な規則を制定するということは客観的にみて到底考えられないところである。それゆえに、右第一五一条は表現の文言にこだわらず制定趣旨をそんたくして平易素直に「懲戒処分として解雇されるときは、即時解雇になる」と理解するならば、予告しないことや、予告期間の告知を要しないのが当然すぎるほど当然であることが容易に首肯できるであろう。除外認定申請はそれが規則に規定してあると否とを問わず当然しなければならぬところであつて、ただそれが解雇の要件としてするのではなく、予告手当の支払いの代用として義務づけられている点に注目すれば自明の理である。

右の点を具体的にいうならば、従業員を解雇するには三〇日分の平均賃金を支払うことを要し、従業員の責に帰すべき事由を原因として即時解雇するには右の賃金を支払う必要はないが、労働基準監督署の除外認定を経なければならない。さらにこれを換言すると、右の認定を経ないで即時解雇しようとすれば、右の賃金を支払わねばならない。すなわち、賃金支払いをもつて除外認定に転換することもできるのであるから、いずれの方法をとつてみても即時解雇としては有効である。したがつて、被告会社が原告にたいしてした昭和三四年六月三日付けの懲戒処分による即時解雇の意思表示は除外認定申請を取り下げたことによつて無効となつたが、同年八月六日付けでした即時解雇の意思表示では賃金支払を追完したため除外認定を得たことに転換されたと同様な効果を発生し有効となつたのである。

就業規則第一五一条の趣旨は以上述べたとおりであるが、同条第一項第五号全文を熟読するときはそれが一層明らかである。すなわち、右第五号の規定を読むと一見、(イ)と(ロ)との二種の方法があるかのようにみえるが、(ロ)の予告手当や退職手当を支給しないとあるのは、そのような解雇方法ではなく、(イ)の方法による結果として当然の説明にすぎず、方法の類別規定でないことは明らかである。そして、(ロ)の但書によれば、退職金の一部を支給して懲戒解雇できることが推測されるので、この特殊な解雇の場合と(イ)の無支給即時解雇の場合とがあり、そのほかに前記の転換により認められる賃金支払による解雇の場合とがあり、結局三つの方法があるということができる。原告の主張する行政官庁の除外認定を絶対的要件とするという考え方は一顧の価値もない偏見である。

六  再抗弁

本件懲戒解雇は信義誠実の原則に反し、かつ解雇権を濫用したものであるほか憲法などの規定に反するため無効である。

1  原告と被告会社との間の特殊な関係

前記のとおり原告は昭和二二年八月一日青海工場に警備員として採用され、爾来職務に精励してきたものであるが、昭和三〇年末頃より被告会社が工場を拡張するため原告の所有地のある田海地区に新工場の敷地を物色していたので、原告は青海工場誘致条例の趣旨にしたがい、かつ被告会社の従業員として同会社に協力するため、右地区内の所有地一反二畝一三歩および原告の父である訴外山岸政勇の所有地二反七畝歩をそれぞれ同三二年四月中に被告会社に売り渡した。右工場敷地の買収に際して、当時の青海町長柳沢新太郎が被告会社の依頼を受けて工場用地買収の仲介の労をとり右買収に応じた者の家族で被告会社に就職することを希望するものがあるときは優先採用されるようにあつせんする旨を確約し、現に就職希望者で被告会社に採用された者もあつた。原告はすでに被告会社の従業員であり、かつ原告の家族のなかで被告会社に就職を希望する者もなかつたので、新たな就職の申し出をする必要もなかつたが、とくに被告会社において将来とも原告をその従業員として雇傭し、優遇される身分が保障されるよう申し込み、被告会社がこれを承諾したので前記買収に応じたのであつた。これらの事情から、原告は被告会社から非常に感謝され、新工場の竣工式にはわざわざ招待を受けて参列したことがあつた。かように原告と被告会社との間にはたんなる雇傭関係以上の深い信頼関係があり、被告会社は前記原告との約定にもとづき原告を従業員として雇傭し、将来とも引き続きその身分を保障し優遇しなければならない義務があるから、仮に原告に被告会社が主張するとおりの懲戒事由があつたとしても、原告を懲戒解雇することは信義誠実の原則に違反することになり、解雇権の濫用となるのである。

2  本件懲戒解雇の背景

昭和三三年三月、明星セメントは青海町寺地地区内にセメント工場を建設しようと企て同地区内の農地約六万坪の買収をするため、地元農業委員会にその手続をし、青海町議会にたいして工場誘致条例の適用方を申し入れた。これにたいして、被告会社は企業防衛の立場から競争会社の進出を阻止しようと決意し、当時町議会議員の地位を有していた被告会社の従業員に働きかけ、その後間もなく開かれた町議会で明星セメントの申し出にかかる工場建設につき工場誘致条例を適用しない旨の決議をさせ、明星セメントがその工場敷地に予定した土地の所有者が被告会社の従業員であるか、あるいはその縁故者である場合は使用者の立場を利用して右土地につき被告会社との間に賃貸借契約を締結するなどの行為に出て、明星セメントの土地買収を妨害し、被告会社の命にしたがわない従業員にたいしては職場あるいは社宅などで公私にわたり常人の耐えられないようないやがらせをし、その従業員をして被告会社を退社するを余儀なくさせるような立場に追い込み、これがため被告会社を退社する者が一〇数人におよんだ。かように明星セメントの工場建設をめぐつて青海町議会、農業委員会、商工会および自由民主党青海支部などが明星セメント誘致派と同反誘致派に別れ町ぐるみ前記紛争にまきこまれることとなつた。そして、この抗争対立が最高潮に達したのが昭和三四年四月に行なわれた地方選挙における青海町長および同町議会議員の選挙運動においてであつた。被告会社を中心とする反誘致派は、もと被告会社の従業員であつた当時の町長柳沢新太郎の四選をねらい、町議会議員には青海工場次長以下部課長クラス約一四人を立候補させ、被告会社において町政を完全に手中に収め明星セメントの前記工場建設計画を粉砕しようと企てた。一方、誘致派では町長に訴外加藤義平、町議会議員には自派に属する一二名の者を立候補させてこれに対抗したので、選挙戦は未曾有の激烈さを加え、反誘致派の猛烈な選挙干渉により青海町は戒厳令下にあるような厳しさとなり、被告会社では就業規則第三三条に規定された「会社構内における政治活動の禁止」を一方的に破り、反誘致派の立候補者を当選させるため、会社構内でしかも就業時間中にまで選挙運動を展開し、被告会社青海工場の全従業員に自派の候補者に投票するよう協力を強要し、協力しない従業員にたいしては職制上のあらゆるいやがらせを敢えてした。かような被告会社の狂奔により投票の結果、反誘致派は圧倒的な勝利を収め、自派より町長はじめ町議会議員の定数二六議席のうち一八議席(そのうち被告会社の従業員は一四名、その他四名。)を当選させ、ついで間もなく開かれた昭和三四年の町議会で明星セメントの工場誘致に反対する旨の決議をし、青海町の町政は完全に右反誘致派の掌握するところとなつた。原告は前記のような立場から(前記、四の1の(三)の(ハ)参照)、また訴外戸田軍平との一〇年来の知遇にこたえ、同訴外人とともに誘致派の立候補者を応援し、被告会社の前記選挙干渉に対抗し、かつ被告会社の前記土地買収妨害行為にもひるまず、当時訴外高松タマより売却方を依頼されていた同訴外人の所有地三畝歩を明星セメントに売り渡したので、被告会社幹部の感情を極度に悪化させ、前記火薬庫勤務など種々の不利な勤務を強いられたが、被告会社は原告にたいする不利益取扱だけでは満足せず、原告を被告会社の従業員たる地位から追放する目的で、些細な就業規則違反行為に名をかりて不当にして苛酷な懲戒解雇処分におよんだものである。

3  結論

上述のような事情のもとにされた本件懲戒解雇の意思表示は解雇権の濫用であるほか、憲法第一四条に定める集会結社表現の自由の保障、同法第二九条に定める財産権の保障および労働基準法第三条に定める均等待遇の原則にそれぞれ違反するため無効である。

してみると、本件懲戒解雇はいずれの点からみても、まつたく無効であり、原告と被告会社との間の雇傭契約は現在も引き続き継続しているのである。

七  再抗弁にたいする答弁

再抗弁のうち、被告会社が原告よりその主張のとおりの土地を買い受けたこと、原告を新工場の竣工式に招待したこと、昭和三三、四年中に明星セメント誘致派と反誘致派の間に激烈な対立抗争のあつたことは認める。被告会社が原告にたいしその主張のような趣旨の身分保障の契約をしたこと、被告会社が従業員にたいし職場や社宅で原告主張のような借地申し込みに応じないことを理由として「いやがらせ」を行なつたこと、青海町議会議員選挙に際し被告会社が部課長クラス一四名を立候補させ同候補者に投票するよう従業員に強要し、原告主張のような選挙干渉を行なつたことは否認する。その余の事実は知らない。

被告会社は前記、抗弁事実の1の事由にもとづき原告を懲戒解雇したのであり、原告が明星セメントの工場敷地買収に協力したことや誘致派立候補のために選挙運動をしたことを理由として解雇したのではない。

なお、原告は憲法の保障する思想および良心の自由、集会結社表現の自由により、原告が被告会社の示した経営方針に反する行為をしたとしても、原告が被告会社の従業員の地位にあるからといつてこれを制約することはできないかのような趣旨の主張をするが、わが憲法は思想信条がたんに内心に抱懐されるにとどまらず、特定の目的のために外部に発表され、または進んで行動に移され、それが個人の権利を侵害するにいたつた場合でも一切無制限であり自由であることを保障したものではない。原告が自らの意思決定にもとづいて被告会社と雇傭関係を結んだ以上、右の自由といえども服務に相応する制限を受けなければならぬのは当然のことである。

第三当事者双方の提出、援用した証拠および書証の認否〈省略〉

理由

第一被告会社が東京都千代田区有楽町一丁目一〇番地に本店を置き、新潟県西頸城郡青海町ほか三カ所に工場などを設け、セメントの製造販売などを業とする株式会社であり、原告が昭和二二年八月一日被告会社との間に被告会社を傭主とする期限の定めのない雇傭契約を締結して、その従業員となり、青海工場において守衛(通常「警備員」という。)として勤務していたところ、被告会社が原告にたいし昭和三四年六月三日付けで青海町工場就業規則(昭和二九年六月一日実施)第一五四条第三号、第五号、第一一号および第一二号に該当する事実のあつたことを理由として原告を懲戒解雇する旨の意思表示をするとともに、糸魚川労働基準監督署に労働基準法第二〇条但書による解雇予告除外認定申請をしたが、同年八月六日右申請を取り下げ、同日付けで再たび右解雇と同一の事由をもつて懲戒解雇の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

ところで、原告は被告会社が原告にたいして昭和三四年八月六日付けでした右懲戒解雇の意思表示は、実体的な解雇事由がなく、またその手続の面にも重大な瑕疵があるため無効であると主張するので、以下において被告会社の主張する懲戒解雇の事由の存否およびその事由が就業規則所定の懲戒解雇の事由に該当するか否かにつきまず判断する。

第二懲戒解雇の事由

一  職務怠慢など

1  抗弁1の(一)の(イ)の事実について

原告が昭和三二年一月二九日飲酒して出勤し、同日午前〇時三〇分から同八時三〇分まで勤務するいわゆるC番勤務に服していた際、警備員の職責である巡回を怠たり所定の職務を離れ青海工場正門詰所で惰眠したため、就業規則にしたがつて譴責処分に付されたことについては当事者間に争いがない。

これにたいして、原告は右職務懈怠が右事件の前夜である一月二八日午後七時頃原告が被告会社勤労係長池田幾郎に呼ばれ同係長の自宅に行つたさい、同係長より強いて勧められた飲酒に起因することを右係長に訴えたところ、同係長より「大丈夫だ心配するな。」といわれ、しかも右譴責処分後に行なわれた同年四月の定期昇給において右の譴責処分は考慮されず、このような場合通常行なわれる昇給額の減額もなく定額昇給した事実があつたので、右譴責の事実はその後の昇給からみて宥恕されたものと推認すべきであると主張するのでこの点につき検討する。成立につき争いのない甲第四五号証、証人池田幾郎、丸山忠保の各証言によれば、原告が訴外池田幾郎の自宅を夜間訪問したのは昭和三二年二月初旬の午前〇時三〇分後(午後四時三〇分から午前〇時三〇分まで勤務するいわゆるB番勤務後)であり、昭和三二年四月一日付け定期昇給の際の原告の昇給額は、一般の昇給率により算定された昇給定額たる四五〇円より一〇円低い四四〇円であり、同日付けで原告の基本給が七、一五〇円に昇給していることが認められ、右認定に反する甲第三五号証および原告本人尋問の結果はいずれも措信できない。ところで、定期昇給における昇給額は特段の事情のない限り労働者の出勤率、生産性にたいする寄与の程度などから推知される就労態度、労務の性質、経歴、能力など諸般の事情を総合勘考して決定されるものであるから、右認定のように昭和三二年四月一日付けで原告の基本給が七、一五〇円に昇給した一事をもつて右譴責処分の対象となつた職務懈怠が宥恕されたものと推断することはできない。したがつて、この点にかんする原告の主張は理由がない。

2  抗弁1の(一)の(ロ)の事実について

原告が昭和三二年八月四日被告会社主催のリクリヱーシヨンたる青海工場各部対抗の相撲大会に総務部の代表選手として出場し、かつ大会終了後の選手慰労会に出席して飲酒したことは当事者間に争いがない。成立に争いのない乙第一五号証の一、二、甲第四二号証および証人丸山忠保、宮川久昭(第一回)の各証言ならびに原告本人尋問の結果(ただしいずれも後記認定に反する部分を除く。)を総合すると、原告は訴外山崎一、山崎司および関原某らとともに原告の所属する総務部の代表選手として右大会に出場したが、同大会はB番勤務者の勤務に支障のないよう同日午後四時頃終了したので、終了後ただちに出勤すればB番勤務の出勤時刻である午後四時三〇分までに出勤できたにもかかわらず、右大会で優勝した総務部の代表選手として選手慰労会に出席し飲酒したため、所定の出勤時刻をかなり過ぎて酒気を帯びて出勤したことから、原告の勤務場所である南地区の警備責任者秦野博および警備本部の警備責任者比後勝栄から強くその遅刻を非難されたので、酔余右両訴外人にたいし激しい言葉で反論し、右慰労会で同席した警備係長丸山忠保の自宅に電話で右同日を年次有給休暇に振りかえるよう請求し、同訴外人の承諾を得て帰宅したこと、その後右訴外比後勝栄は「欠勤並休暇届簿」に原告が相撲大会に出席するため年次有給休暇を請求した旨を記載し右丸山係長の承認をえたことが認められ、右認定に反する乙第一五号証の二、甲第四四号証の一および証人丸山忠保、宮川久昭の各証言ならびに原告本人尋問の結果の一部はいずれも措信できない。

ところで、被告会社は原告は昭和三二年八月四日飲酒し遅刻して出勤し勤務から除外されたのであるから、上司がこれを年次有給休暇に振りかえることを承認した事実があつたとしても、右承認によつて勤務怠慢の事実が消滅するものではない旨主張するのでこの点について検討する。年次有給休暇請求権による休暇の時期をいつに決定するかは使用者に留保されるべきであるから、年次有給休暇を請求する場合労働者はあらかじめ時期を指定し、これを使用者に通知することを必要とし、労働者において任意に遅刻その他の事情により就業にさしつかえた日を有給休暇に振りかえることはできないものと解すべきであるが、使用者において労働者の申し出により遅刻その他の事情で就業にさしつかえた出勤日を年次有給休暇に振りかえた場合には、その出勤日は、あらかじめ決定されている休日と同じく始業時刻当初からの休日となるのであるから、右出勤日における労働者の遅刻などの就労態度を、通常の出勤日と同様に評価し就業規則違反の責任を問うことは相当でない。よつてこれを本件について考えてみるに、前記認定のとおり原告は昭和三二年八月四日飲酒し遅刻したが、すでに原告の上司である丸山警備係長において右遅刻の責任を問わず異議なく同日を有給休暇に振りかえた以上、右の原告の行為を被告会社主張のような懲戒事由に該当するものと評価することは許されないものというべきである。してみれば、この点にかんする被告会社の主張は失当である。

3  抗弁1の(一)の(ハ)の事実について

成立に争いのない甲第三八号証の一、第四三号証、第四四号証の二、乙第一六号証の一、二ならびに原告本人尋問の結果を総合すると、原告は昭和三三年五月二八日のC番勤務に服さねばならなかつたところ、所定の出勤時刻を一時間余り遅れて出勤し、勤務場所である北門の警備責任者滝沢治作より注意を受けたので、右同日を年次有給休暇に振りかえることを請求し、同人の承諾をえて帰宅したことその後警備本部の責任者高松武一が「欠勤並休暇届簿」に田植のために原告が右同日を年次有給休暇として請求した旨を記載し、丸山警備係長の承認をえたことが認められ、右認定に反する前掲乙第一六号証の二は措信できない。以上認定の事実によれば、原告の右遅刻は前記2において説示したとおり、就業規則第三五条第一項第二号、第八号に該当するものということはできない。よつてこの点にかんする被告会社の主張も失当である。

4  抗弁1の(一)の(ニ)の事実について

成立に争いのない甲第三八号証の一、第四一号証、乙第一四号証の三、証人池田幾郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第一二号証の二(ただし後記認定に反する部分を除く。)、および原告本人尋問の結果ならびに検証の結果を総合すると、エルケム電炉は被告会社がノルウエー、オスローにあるエレクトロス・ケミスク会社から高熱電炉として一台購入したもので、青海工場の南端附近にある鉄筋コンクリートの建物中に設置し、これが特許上の秘密を保持するため、被告会社において「エルケム電炉出入場取締規定」を制定し、出入者を監視するため、右建物の南東側約一〇米の地点に三号門詰所を設置し、昭和二九年頃から警備を行なつていたが、同三三年三月一日からは、従来から行なつていた入場者に対する腕章などの交付および電炉出入場者台帳の記入方法の一部を改め、エルケム電炉に入場する者は三号門詰所窓口で、警備員に自己の所属、氏名および登録番号を申告し、警備員はかねて工場長の許可証にもとづき作成し備え付けてある登録者名簿と照合したうえ、炉前作業者には赤色帽章、その他の作業員には赤色腕章、外来者には青色腕章をそれぞれ交付して入場させ、エルケム電炉出入場者台帳には帽章および腕章についている番号をA番勤務者(午前八時三〇分から午後四時三〇分までの勤務)は黒、B番勤務者(午後四時三〇分から午前〇時三〇分までの勤務)は赤、C番勤務者(午前〇時三〇分から同八時三〇分までの勤務)は青の丸で囲み、入退場の時刻および入退場者の氏名を記帳することにしていた、原告は昭和三二年度中にもエルケム電炉の警備についたことがあつたので、同三三年六月一一日ふたたび右電炉の警備を命じられた際、原告の上司である斉藤正美組長に、かつて原告が勤務していた当時と再度原告が勤務することとなつた昭和三三年六月とで警備要領になにか変更されたところがあるかどうかを尋ねたところ、右組長は、「作業者の腕章が帽章に、外来者に渡たす白腕章が青腕章に変つた。」旨説明しただけであつたので、原告はエルケム電炉出入場者台帳の記入方法は別段変つていないものと速断し、再度エルケム電炉の警備についた最初の日である昭和三三年六月一一日のC番勤務中、前任者が右出入場者台帳に帽章および腕章の番号を赤丸で囲んで記載しているのを見て、その赤丸の記載がいかなる意味をもつているかを深く考えず、軽卒にも本来青丸で囲まなければならないC番勤務中の入場者の番号を、前任者の記入方法にならつて赤丸で囲み所定の記入方法を誤つた(なお、原告が右記帳方式を誤つたことについては当事者間に争いがない。)、そこでこれを発見した原告の次番者山崎司警備員は右記帳における誤りを原告の上司秦野組長に報告し、同組長の報告で右の事実を知つた南地区の警備責任者二宮博が同月一三日頃原告に記帳方式を誤ることのないよう注意したところ(原告が訴外二宮博から注意を受けたことについても当事者間に争いがない。)、原告は「整理の方法を知らなかつたんだ、いちいち人のあらを探すなら、俺も人のあらを探してやる。」旨放言したが、その後他の従業員に比較して特に目立つような記帳の誤りをしたことはなかつたことが認められ、右認定に反する前示甲第三八号証の一、乙第一二号証の二、第一四号証の三は措信できない。なお、被告会社の主張するように原告がその上司秦野博に放言した事実はこれにそう乙第一二号証の二、第一四号証の三は措信できず他に右事実を認めるに足る証拠はない。

原告が過失によるとはいえ、三号門警備の警備員の主要な任務であるエルケム電炉出入場者台帳の記帳方法を誤り、これを注意した上司にたいし右認定のような趣旨の放言をしたことは不穏当な行為というべきである。しかし、原告がその記帳方式を誤つた事情、注意を受けた後はほとんど記帳を誤らなかつたことなどを考えあわせると、右の原告の行動をとらえて上司にたいし暴言を吐き、その職務上の指示にしたがわなかつたものとして前示就業規則第五条、第三六条第二号、守衛服務規定第五条に該当するものと評価することは相当でないというべきである。

5  抗弁1の(一)の(ホ)の事実について

成立に争いのない甲第三四号証、第三八号証の一、乙第一四号証の六ないし九、証人儀間武昌、渡辺正己、山沢忠太の各証言および原告本人尋問の結果(ただしいずれも後記認定に反する部分を除く。)ならびに検証の結果を総合すると、青海工場四号門には引込線を通過する貨物列車のための交通遮断扉があり、同門警備の警備員の主要な任務は右引込線を通過する列車のために同門を開扉することであつたが、本件の発生した昭和三三年一二月一四日当時、四号門勤務はA番勤務だけであつたので、工場より原石山に向つて進行する貨物列車が午前八時三〇分前に同門を通過するときは、輸送係からの電話通報により南門のC番勤務者が同門より徒歩で二、三分の距離にある四号門に行つて開扉し、同時刻以後に列車が通過する場合は四号門のA番勤務者が開扉することになつていたところ、右同日原告は南門のA番勤務(午前八時三〇分より午前四時三〇分までの勤務)となつていたので(南門勤務の者は当日さらに三号門、四号門、セメント詰所および南門の四部署に勤務場所を指定される。)、午前八時一八分頃北門に入場してタイムカードを打刻し、八時三〇分頃南門詰所に出勤して同地区の警備責任者儀間武昌から四号門勤務を命じられたが、該命令後ただちに同門に赴かなかつたため、午前八時三三分頃、工場より原石工場にむかつて進行してきた原石を積載した七輛編成の貨物列車が四号門附近で同門の開扉をもとめて数回汽笛を吹鳴し、開扉信号を送つたのを耳にし、急いで四号門に赴き午前八時三八分頃同門を開扉し、すでに同門前で停車していた列車を通過させたこと(右同日朝四号門前で被告会社主張のような貨物列車が停車したことについては当事者間に争いがない。)、原告の開扉が遅れたため右列車が約五分間四号門前で停車することとなつたが、このような停車は時折あることでとりたてて事故という程のものではなく、右の停車によつて、事後の作業遂行に格別の支障をきたさなかつたので、右列車の機関士渡辺正己および南門の警備責任者儀間武昌は右停車を事故として上司に報告しなかつたこと、工場においてはA番勤務の従業員は午前八時三〇分までに入門すれば遅刻扱いにならないことが認められ、右認定に反する前掲各証拠はいずれも措信できない。

被告会社は、交代勤務につく従業員は各自その担当職場で引き継ぎをうけ、所定の始業時刻までに各自勤務場所に到着し、始業時刻にはその勤務を開始しなければならないことになつているにもかかわらず、原告は始業時刻の午前八時三〇分までに勤務場所たる四号門に到着していなかつた怠慢により貨物列車を一時停車させたものであり、該行為は就業規則第二一条、第二四条、第三五条第二号、第八号、守衛服務規定第五条に違反する職務怠慢行為である旨主張するのでこの点について検討する。労働者は労働協約、就業規則などで定められた所定の労働時間中、一定の条件にしたがい、使用者のためその指揮、命令のもとに労働する就労義務を有するものであるが、時間外労働の協約などによる超過労働の場合を除いては右労働時間を超えて就労する義務を有しない。そして右労働時間とは特段の事由のない限り工場に入門した時より退門までと解すべきであるから、右の特段の事由が就業規則などで規定されているか、あるいは労使関係において慣行的事実として現存していない以上、使用者は従業員が各自その担当職場で引き継ぎを受け所定の始業時刻までに勤務場所に到着し始業時刻にただちに勤務を開始することを命じることはできないものというほかはない。ところで、前掲各証拠によれば、青海工場においてはかなり広い地域にわたり事務所、作業所などが散在し、タイムカードが設置されている南門、正門および北門から各課作業所まで相当の距離があり、そのうえ従業員は各作業所の休憩所などで作業衣に着替えをする必要があるため、入門してから各作業現場に到着するまでにかなりの時間を要するところから(現に本件においても原告が北門を入門し南門に到着するまで一二分位を要している。)、従業員は各自休憩所などで作業衣に着替え、午前八時三〇分までには指示された勤務場所に到着し、交代引き継ぎなどを終り、始業時刻には作業を開始する慣行があつたものと認められるので、原告の右行為は就業規則第三五条第二号、第八号所定の規定の時刻を守らず、正当な理由がなく遅刻したものに該当するものといわなければならない。しかしながら、原告の右行為はたんに数分間の遅刻にとどまり該行為により惹起された貨物列車の停車は事後の作業にほとんど支障をあたえなかつたものであるから、これをもつて被告会社主張のような懲戒事由に該当するものと評価することは妥当でない。

6  抗弁1の(一)の(ヘ)の事実について

原告が青海工場火薬庫の警備に従事していた昭和三四年三月二三日右火薬庫に設置されている非常信号用外灯を点灯し、その行為の故に譴責され、始末書の提出を命じられたが、これを提出しなかつたことは当事者間に争いがない。

右点灯行為の動機につき被告会社は、原告はかねてから火薬庫勤務を不満とし他の同僚が緊張して勤務しているかどうかを試みるため非常事態発生の場合、緊急連絡のため点灯キべきである非常信号用外灯を故意に点灯したと主張し、原告は右点灯行為は正当な職務行為であると反論するので、この点について検討する。成立に争いのない甲第三八号証の一、二、第四〇号証、乙第一四号証の四、第一七号証の一、二、第一八号証の一、二、第一九号証の一、二、第二〇号証の一、二および証人青代勘一郎、斉藤正美、加茂敏雄の各証言(ただしいずれも後記認定に反する部分を除く。)、原告本人尋問ならびに検証の結果を総合すると、前示火薬庫は青海工場の南門より青海川を越えて徒歩で約一五分、五号門の西方約三〇〇米、四号門の北西方約三〇〇米、工場の建つている地点より約四、五〇メートル高い人里離れた山腹に位置した煉瓦造り三棟の建物である、火薬庫の警備勤務は昭和二七、八年頃いつたん廃止されたが、同三四年二月頃堤防工事を開始したため火薬庫の下の方に労務者の飯場がつくられたので同三四年二月二三日再開されることになり、原告と訴外清水信が交代でA、B番勤務につくことになつた、火薬庫の警備詰所には従前警備本部に直通する電話が設置されていたが、警備再開の直前である右同年二月二〇日頃修理のため取りはずされていたので、同詰所と外部との連絡は右非常信号用外灯と一日二、三回南門から巡回してくる巡回者の来訪をまつ以外に方法がなかつた、火薬庫警備の主要な任務は、火薬庫に外来者が入らないように監視し、火気を注意し、所定の時間毎に火薬庫を巡回して同所に備え付けてある巡回表に巡回時刻などを記入し、右火薬庫詰所において火薬庫日誌をつけることなどであつたが、昭和三四年三月二三日午後七時頃原告がB番勤務者として火薬庫を巡回中、所携の腕時計が止まつていることを発見したので、巡回表に正確な時刻を記入するため、他の部署に勤務中の警備員を非常信号用外灯の点灯によつて呼び出し正確な時間を確認しようと考え軽卒にも非常信号用外灯に点灯した、右点灯を知つて驚いた警備本部からの命令により南門に勤務していた警備員尾島重治、保坂重造の両名が急遽右火薬庫詰所に赴いたところ、原告が同人らに「時計が止まり時間がわからないので非常灯をつけた。」旨述べた、その後四月一六日に警備係長代理鶴渕雅雄が右点灯行為につき原告を譴責し、始末書の提出を命じたがこれを提出しなかつたことが認められ、右認定に反する前掲各書証、および各証言の一部は措信できない。もつとも前掲甲第三八号証の一によれば、原告が右点灯行為の前に訴外清水信に「信号外灯を点灯して連絡するから。」と述べたことが認められるが、同号証および前掲甲第四〇号証ならびに原告本人尋問の結果を総合すると、原告は右火薬庫警備の当初火薬庫警備詰所の整備にあたつた係員佐藤正臣より外部との連絡は右非常信号用外灯によるよう説明されたうえ、昭和三四年三月八日頃試みに右外灯を点灯してみたところ故障しており、しかも数日間修理されず放置されていたので、非常信号用外灯とはいうものの同外灯はさして重要視されておらず、電話が修理されるまでは外部との連絡に同外灯を使用してもよいものと誤信し、安易な考えから右のような発言をしたことが認められるので、右発言をもつてただちに原告が被告会社主張のような意図をもつて故意に非常信号用外灯を点灯したものと推断することはできない。

しかしながら、所携の腕時計が止り巡回表に正確な時刻を記入できない場合にあつては、時計を適当と考えられる時刻に合わせて始動させたうえ、その時刻を控えておき後に巡回者が巡回してきたさい正確な時刻を聞いて改めて巡回表に正確な時刻を書き入れるなど適宜な方法をとることもできるのであるから、右のような事由で非常事態発生の場合に点灯すべきものとされている非常信号用外灯を点灯するということは、火薬庫に勤務する警備員の行為として軽卒のそしりをまぬがれず、原告の主張するような適正妥当な行為といいえないものであるうえ、自己の不注意な行動を反省せず始末書を提出しなかつたことは、就業規則第三五条第五号、第三六条第二号に違反するものというべきであるが、前示認定のとおり原告には悪意がなかつたのであるから、右点灯行為をさして被告会社にたいする一種の極めて悪質ないやがらせ行為であるとまで断定することはできない。

7  抗弁1の(一)の(ト)の事実について

(一) 昭和三四年三月二八日の年次有給休暇請求

原告が昭和三四年三月二八日に被告会社主張のような理由にもとづき年次有給休暇を請求したことについては当事者間に争いがない。成立に争いのない甲第四四号証の三、乙第一四号証の五および証人山口正一の証言ならびに原告本人尋問の結果を総合すると、原告は昭和三四年三月二七日南地区のB番勤務を命じられていたが、同日出勤前に山に薪木を採取に行つた際、鉈で左足を切つたので同日南地区警備責任者滝沢治作に電話で右の負傷の事実をつげ二七日より三〇日までの四日間を年次有給休暇として請求した、ところが同月二二日に行なわれることになつていた青海町自由民主党青年部と民主化クラブの地方選挙運動(示威行進と街頭演説)がにわかに同月二九日に延期されることになつたため、同日朝急に右青年部の一員として出席を求められ、トラツクに上乗りして右示威行進に参加したことが認められるが、原告が右の選挙運動に参加するため故意に虚偽の理由を申告して有給休暇を請求したとの点についてはこれを認めるに足る証拠がない。したがつてこの点にかんする被告会社の主張は失当である。

(二) 昭和三四年四月二五日の年次有給休暇請求

成立に争いのない甲第三九号証、第四四号証の四および証人原田利雄の証言ならびに原告本人尋問の結果を総合すると、原告は公休日たる四月一〇日に出勤服務したため、これが振替日として昭和三四年四月二五日、休日(振替休)をとつて休み、翌二六、二七日を「親族の建前のため」という理由で年次有給休暇とすることを請求してたことが認められるが、被告会社の主張する同月二五日を右理由により年次有給休暇として請求したとの事実はこれを認めるに足る証拠がない。してみると、原告が右四月二五日虚偽の理由を申告して年次有給休暇を請求し、休暇をとつたとの被告会社の主張は理由がない。

二  経営方針背反

1  本件懲戒解雇の背景

(一) 被告会社主張の本件懲戒解雇事由のうち、経営方針背反(抗弁1の(三))の事実の存否および右事実が被告会社主張のような就業規則違反事由に該当するか否かは、明星セメント誘致反対という被告会社の経営方針(原告は明星セメント誘致反対ということは被告会社の目的範囲外の事項であるから経営方針とすることは妥当をかくと主張するが、経営方針とはたんなる経営計画、経営方向の趣旨を指称するものと解すべきであり、いかなる経営方向を取るかは本来会社の経営権にゆだねられるべき事項であつて、原告主張のように狭少に解する理由はないからこの点にかんする原告の主張は理由がない。)、ならびに該方針をうちだした当時における青海町の特殊な情勢が重大な関連性を有すると思われるので、この点について判断する。

成立に争いのない甲第一四号証、第一五号証、第二二号証、乙第一四号証の一、二、および一二、一三、証人戸田軍平の証言により真正に成立したものと認められる甲第二三号証、第二四号証、第二七号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三一号証(とくにそのうち第九頁以下)、証人池田幾郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第二号証の一ないし三、第三号証、第四号証の一、二、第五号証の一ないし一〇、第六号証の一、二、第九号証、第一〇号証、第一一号証の一、二、第一二号証の一、二、証人青代勘一郎の証言により真正に成立したものと認められる乙第七号証の一ないし四、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一三号証の一ないし四、証人戸田軍平、渡辺仁作、青代勘一郎、小野正徳、加茂敏雄、谷口正夫、池田幾郎、吉田安一、塩田新市、三浦正一の各証言および原告本人尋問の結果を総合すると、つぎの事実が認められる。すなわち、

青海町は一方を日本海に、三方を山に囲まれた平地部の少ない一寒村であつたが、同町の背後には全山が良質の石灰石からなりその埋蔵量約五〇〇億トンを呼称される海抜一、二二二メートルの黒姫山がそびえ立つていたので、早くからこの石灰石の開発をめざして工場の誘致運動が盛んに行なわれていた。大正一〇年当時住民約三、八〇〇名の青海村に被告会社は青海工場を建設し、黒姫山の石灰石を原料とするカーバイド、石灰窒素、セメントなどの製造を開始し、爾来年々その施設を拡張してきたが、昭和三〇年頃から従来の化学肥料工業より塩化ビニール、メラミンなどの有機合成化学製品製造工業にも進出することを計画し、長期総合計画にもとづき青海町の田海、寺地、高畑の三地区に三〇万坪の工場用地を買収することとし、その第一次計画として昭和三二年四月頃までに田海地区に工場用地として農地一〇万坪を買収し、同地区に同年より同三六年まで五カ年計画で酢酸ビニール工場の増設、ポパール、アクリロニトル、塩化ビニールおよびネオブーンの各製造工場を新設、昭和三三、四年中にセメントキルン二基を増設することを計画し、昭和三三年中に右有機合成化学工場の一部の建設とセメントキルン一基の増設を完了した。青海工場の発展にともなつて青海村も次第に発展し、昭和二九年頃町村合併もあつて同三三年には人口約一七、〇〇〇人をようする青海町となつたが、同町の人口の約七割は青海工場の従業員およびその縁故者などでしめられ、同町の予算の二分の一以上が青海工場の固定資産税などでまかなわれ、政治的にも青海町長は昭和二二年頃より引き続いてもと被告会社従業員柳沢新太郎がその地位にあり、昭和三四年四月の改選前は町議会議員定員二六名のうち青海工場の従業員が七名をしめ、改選後は町長柳沢新太郎ほか青海工場の従業員一四名が町議会議員となつた。ところが訴外日本カーバイド工業株式会社、信越化学工業株式会社および昭和電工株式会社は右の黒姫山の石灰石に着眼しこれを採取する目的のもとに共同で昭和三二年頃に訴外日本石灰石開発株式会社を設立し、ついで石灰石採取の際に生ずる砕石を利用してセメントを製造する目的で翌三三年訴外明星セメント株式会社を設立し、セメント工場建設のため被告会社が買収を予定した寺地地区に約六万坪の農地買収を計画した。ところで、青海町には町内に固定資産資本額一億円以上、常時雇傭の従業員二〇〇人以上の工場の新設あるいは増設を行なう会社で町長が指定したものについて、投下固定資本総額の一〇〇分の一に相当する額を限度とする施設的便宜または奨励金を供与する旨の青海町工場誘致条例(青海町条例第一八七号)が制定されており、前記被告会社田海新工場の建設にあたつては、右条例にもとづき設置された新町建設委員会および町当局が工場用地買収の交渉にあたり、青海町から土地買収助成金として坪当り四〇〇円の奨励金が供与されることになつたので、昭和三三年三月一二日訴外昭和電工株式会社および日本カーバイド工業株式会社は被告会社に明星セメントのセメント工場建設を申し出るとともに、翌四月一一日青海町長にたいし新工場建設につき右条例の適用方を要請したところ、これを聞知した被告会社は後記のような理由で明星セメントの新工場建設に反対し、町当局も明星セメントが右条例所定の条件をみたしているにもかかわらず明星セメントに右条例を適用することを拒んだので、前記日本カーバイド工業株式会社ほか二社は被告会社の了解をえられぬまま、さきに被告会社が田海地区の農地を買収した際の買収価額より更に高額の買収価額を提示して寺地地区の農地買収に着手した。このような一連の動きにたいして被告会社は、田海地区に明星セメントの新工場が建設されることになると、(イ)被告会社の前記経営規模の拡大強化、有機合成化学にも進出することによる企業体質の改善という長期経営計画の実現が工場用地獲得の面で著るしく妨害されること、(ロ)明星セメントの工場用地は被告会社が現に建設中のメラミン、塩化ビニール製造工場(田海工場)から八〇〇メートル位しか離れておらず、右の有機合成化学工場はその性質上塵埃を絶対にさけなければならないので、このように近接した場所に粉塵を生ずるセメント工場を建設することは右田海工場の操業にきわめて重大な障害をきたすこと、(ハ)青海町内に青海工場と同じセメントを生産する工場が建設されることになると、すでに輸送能力の点で限界に達している国鉄北陸線の貨車輸送は、新セメント工場の出現による出荷の急増により麻ひ状態におちいるおそれがあること、(ニ)現在セメント工業界は過当競争の状態にあるから、同じ青海町内に新たなセメント工場が建設されるときは、その販路である近距離消費地において一層激烈な販売競争が行なわれることになり共倒れの危険をまねくこと、などという理由をあげ、企業防衛の立場から明星セメント進出にたいしては絶対に反対するとの態度を明らかにした。そして昭和三三年三月頃より被告会社代表者(取締役社長)および青海工場長の名義をもつて前記明星セメントの工場建設に反対する理由、なかんずく明星セメント工場誘致が被告会社の発展をいかに阻害し青海町に不利益を与えるかを強調し、従業員の愛社精神に訴えその協力を求める旨を記載したパンフレツトや工場ニユースを従業員に配布し、さらに同年八月以降数回にわたり原告ら警備員を含む一般従業員にたいし明星問題説明会、職場懇談会などを開催し、青海工場長、工場次長ら被告会社の幹部職員が卒先して前記被告会社の明星問題にかんする経営方針(以下たんに「経営方針」という。)を説明した結果、約三、五〇〇名の青海工場従業員は明星問題にたいする被告会社の態度を知るようになつた。青海工場従業員の大部分によつて組織されている電化工場青海労働組合(以下たんに「組合」という。)も、右にあげた被告会社の経営方針に同調し、昭和三三年五月二八日の組合定期大会において職場防衛、企業防衛が組合員の生活権擁護に直結するという立場から競業会社たる明星セメントの進出に反対し、同問題につき被告会社の方針に協力することを決議し、組合執行部が中心になり声明書などのビラを配布し、明星セメントの土地買収を阻止するため寺地地区の地主にたいし被告会社側えの協力を要請し、明星セメントの買収した農地の転用許可申請にたいする許可を阻止するためにする関係諸官庁への陳情をするなど、強力な反対運動を押し進め、それとともに青海工場の従業員が主体となつて明星セメント進出反対の目的のもとに明星誘致反対期成同盟、農地擁護連盟が結成された。他方、明星セメント誘致の目的で訴外小野惣司、町議会議員小野正徳、戸田軍平および小川正雄などが中心となつて、工場誘致促進期成同盟会、町政刷新同志会、町政懇談会および民主化クラブなどを結成し明星セメント誘致派の勢力拡大に努め、明星セメントの工場用地獲得に奔走し、工場誘致の必要性を説いたビラを配布し買収農地の転用許可を得るため関係諸官庁に陳情などを開始した。

以上のような両派の対立抗争は、明星セメントが工場用地を予定した前記寺地地区の農地買収競争(後記(二)の(イ)参照)と町政の主導権をめぐる昭和三四年四月の地方選挙(後記(二)の(ロ)参照)において最高潮に達し、明星セメント工場建設の是非をめぐつて青海町の町議会、農業委員会、商工会および自由民主党青海支部は右両派の対立抗争の渦中にまきこまれることになつた。

(二) 前記認定のような一般情勢のなかで、つぎのような事件が発生した。

(イ) 用地買収競争

成立に争いのない甲第一四号証、第一五号証および証人小野正徳、渡辺仁作、池田順二、吉田安一の各証言ならびに原告本人尋問の結果(ただしいずれも後記認定に反する部分を除く。)を総合すると、青海町内は農地が少なく、また近年は沿岸漁業も振わないので青海町の住民のなかには近郊の工場に就職することを希望する者が多かつたところから、被告会社を初め青海町周辺の会社は工場用地獲得のため用地の買収に応じた世帯の子弟を優先的に工員として採用する方針をとつていたため、明星セメントを被告会社のいずれに土地を提供するかの問題が直接雇傭問題に結びつき、用地買収をめぐつて友人、親戚、家族間の利害が対立し不和を生ずるにいたつた、被告会社の前記経営方針にしたがつて明星セメント誘致反対運動を行なつていた青海工場の幹部職員は、明星セメントが買収を予定した土地の所有者が青海工場の従業員であるか、もしくはその縁故者である場合、明星セメントに該土地を買収されないよう土地所有者に右土地の賃貸借を申し出で、その申し出にしたがわない従業員を勤労課などに呼び出したり、あるいは職制上の上司を通じて説得したので、青海工場の従業員は被告会社の右要請にしたがわないときは将来待遇面その他で不利益な取り扱いを受けるのではないかという危惧の念を抱くようになつた、そして組合もまた被告会社の前記経営方針に同調していたので、明星セメントに土地を売り渡した青海工場の従業員は被告会社と組合の両者から企業防衛にたいする非協力者として非難されるのではないかと考え、これがため被告会社を退社する者が約一〇名におよんだ。たとえば、訴外小野慎一は昭和二一年頃青海工場に就職し瓦斯係に勤務し空気分離器の運転にあたる有能な工員であつて、同三三年には班長を勤めていたが、遠縁の親戚である前記小野正徳の懇望により昭和三三年六月頃明星セメントにその所有にかかる農地約一五〇坪を売り渡したところ、この事実を知つた青海工場勤労係長池田幾郎が、右訴外人の上司である瓦斯係長池田順二らとともに右売買契約の解約をせまつたので、訴外小野慎一は親戚の情誼と被告会社の従業員としての立場との板ばさみとなり、ノイローゼ気味となつて同月二〇日被告会社を退社し、その後日本石灰石開発株式会社に就職した。訴外八木ユキエは被告会社の田海工場用地買収に協力したことで昭和三一年頃青海工場の製袋係工員として採用されたが、同三三年右訴外人の母八木クニエが約八〇坪の土地を明星セメントに売り渡し、右訴外人の弟勝三郎を明星セメントに採用してもらつたところ、青海工場の従業員である右訴外人の親戚などが来訪し、右訴外人およびその母クニエに明星セメントとの売買契約を解約するようにせまつたうえ、職場で上司および同僚より被告会社に土地を売らなかつたことを非難されたので、同年六月頃からノイローゼ気味となり、三カ月余り欠勤した後、被告会社を退職したことが認められ、以上の認定に反する証人池田順二の証言は措信できないし、他に右認定を動かすに足る証拠はない。

(ロ) 選挙運動

前掲甲第二七号証、第三一号証(とくにそのうちの九頁以下)、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二六号証(とくにそのうち五ないし七頁中段の各写真)、甲第三二号証(とくにそのうち二二頁の写真)、証人戸田軍平、加茂敏雄、池田幾郎、塩田新市、宮川久昭(第二回)、長沢吾作の各証言および原告本人尋問の結果を総合すると、昭和三四年四月三〇日の地方選挙において反誘致派は誘致派を圧倒しようとして前記柳沢町長の四選を企図し、町議会議員には青海工場次長、総務部長、勤労部長ほか幹部職員など一四人、その他自派に属するとみられる前町議会議員ら数名の候補者を応援し、他方誘致派は町長に加藤義平、町議会議員には自派から前記小野正徳、戸田軍平、小川正雄ほか数名の立候補者を応援し、工場建設の計画を有利に導こうとし、互に激しい選挙運動を展開した。そして青海工場では工場の各部課が十数ケ所の選挙母体に区分され、各選挙区ごとに一名あるいは二名の町議会議員立候補者をたて、各職場の従業員およびその家族を対象にしていわゆる票割りが行なわれ、さきの昭和三三年一二月の全電化労働組合中央労働協議会において労使間で協調を得た、就業規則第三三条所定の会社構内における政治活動の禁止の緩和により休憩時間などを利用して右立候補者の推薦運動が活溌に行なわれた、そのため政治的な信念あるいは親戚知人などの縁故関係から誘致派の立候補者を推したいと考えていた青海工場の従業員は、被告会社および組合の方針に同調しないことが自己の将来の栄進に悪影響をおよぼすことになり昇給面でも不利益な取り扱いを受けるのではないかという危惧の念を抱くようになつた。また青海工場の幹部職員は青海工場の社宅内で誘致派が選挙運動をすることを極力警戒し、社宅内で誘致派が宣伝カーなどにより選挙運動をすることを妨害したので、社宅に居住する青海工場の従業員および家族の多くは誘致派と目されることを恐れ、誘致派の宣伝カーなどによる宣伝を無視し、郵送された宣伝ビラを社宅係に届けるなどしていた、そしてたとえば昭和三四年四月三日青海工場末広町社宅第八八号に居住している青海工場の工員で組合の執行委員長沢吾作の妻登美子宛の封書が青海工場の警備員の妻によつて集められ、誘致派と目されている青海町自由民主党青年部の部長訴外松沢衛の妻松沢ミツエは昭和三三年一〇月三〇日、被告会社の秘密が誘致派に漏れる恐れがあるという理由で青海工場総務部庶務課のタイピストとしての職をしりぞけられ、ついには会議室の掃除婦を命じられ憤まんのあまり同三四年一月三一日付けで退職したことが認められ、以上の認定に反する証人池田幾郎、塩田新市の証言は措信できない。

(ハ) 安全運動(被告会社の労務管理について)

前掲甲第三一号証(とくにそのうち一一頁)、第三二号証(とくにそのうち八頁の「昭和三三年度電化従業員不休災害」と題する表)および証人長沢吾作の証言ならびに原告本人尋問の結果を総合すると、被告会社は職員の衛生安全を保持するために青海工場において百万時間の安全競争、安全月間などの行事を行ない、各部課が競つて公傷者を少なくする運動を行なつていたところ、右期間中に公傷による休業者が出た場合他の部課より安全成績が低下することを恐れ、当該職場の安全担当係員が負傷者の自宅を訪問し、軽労働にまわすからできるだけ出勤するようにとか、会社に出勤している方が昇格昇給に有利であるとかと説いて出勤することを勧奨し、また負傷者自身も公傷休業により昇格昇給が影響を受けることを恐れ、相当の負傷をしながら休業しないで出勤し、やむをえず休業する場合も休業災害による安全成績の低下を恐れ、みずから年次有給休暇を請求した事例さえあつたことが認められる。

2  流言ひ語

(一) 抗弁1の(二)の(イ)の事実について

成立に争いのない乙第一四号証の一〇、証人清水信、八木祐治郎の各証言によれば、原告は後記3のとおり誘致派に属する訴外戸田軍平のため選挙運動をしていたところから被告会社の明星セメント誘致反対の理由が根拠のないものであることを明らかにしようと考え、右訴外戸田軍平あるいは町政懇談会において聞いた事実として、同僚の清水信および上司の八木祐治郎に「電化(被告会社の趣旨)は明星セメント誘致反対の理由として国鉄北陸線の貨車輸送の混雑をあげているが、国鉄金沢鉄道管理局で輸送を円滑にし混雑を緩和するため一億円が必要であるとし、この一億円を電化および明星セメントで各五、〇〇〇万円ずつ負担するよう勧奨したにもかかわらず、電化はこれを断つた。」旨語つたことが認められ、原告が右の事実が虚偽であることを知りながら故意に右の事実を流布したことを認めるに足る証拠がないので、この点にかんする被告会社の主張は理由がない。

(二) 抗弁1の(二)の(ロ)の事実について

前掲乙第一四号証の一〇、一一、証人清水信、八木祐治郎の各証言および原告本人尋問の結果によれば、原告が被告会社主張のような事実を訴外清水信、八木祐治郎に語つたことが認められるが、前示認定のとおり瓦斯係の小野慎一および製袋係の八木ユキエが明星セメントに土地を売り渡したことから被告会社および組合と家族、親戚などの板ばさみになつてノイローゼ気味となつたことを肯認することができ、また原告本人尋問の結果および前記1の(二)の(ロ)の事実を総合すると、社宅内における社宅係などによる選挙干渉の事実が「お祭の来客まで社宅係に届けろと強要された。」と誇張されて青海町に流布されていたことが認められるが、原告が右の事実が虚偽であることを知りながら故意に右事実を流布したことを認めるに足る証拠はないのでこの点にかんする被告会社の主張も理由がない。

(三) 抗弁1の(二)の(ハ)の事実について

前掲乙第一四号証の一一、証人清水信、八木祐治郎の各証言によれば、原告が被告会社主張のような事実を訴外清水信、八木祐治郎に語つたことが認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果は措信しがたいが、原告本人尋問の結果によれば選挙立会人のなかに被告会社の従業員が多数入つており、かつ投票場の入口附近に被告会社の従業員が集合していたので、原告および誘致派を支持する者は反誘致派が監視人をつけたものと速断し、右の事実につき選挙管理委員会および警察署に抗議を申しこんだことが認められ右の事実が虚偽の事実であることを知りながら原告が故意にその事実を流布したことはとうてい認め難いから、この点にかんする被告会社の主張もまた理由がない。

(四) 抗弁1の(二)の(ニ)の事実について

証人清水信、八木祐治郎、渡辺正己の各証言によれば、原告が被告会社主張のような虚偽の事実を訴外清水信、八木祐治郎、渡辺正己に語つたことが認められ、右認定に反する原告本人尋問の結果は措信できない。右認定にかかる原告の行為は就業規則第三六条第一一号の流言に該当するというべきであるが、他方前掲各証言によれば右の虚言は右訴外人らからたんなる悪質な戯言としてのみ受けとられていたことが認められる。

3  利敵行為

(一) 抗弁1の(三)の(ロ)の(1)、(2)の事実について

前掲甲第一五号証、第三一号証(とくにそのうち九頁以下。)、乙第六号証の一、二、第七号証の一ないし四、第九号証、第一三号証の一ないし四、成立に争いのない乙第一四号証の一二、一三および一五、第二一号証の一、二、証人加茂敏雄の証言により真正に成立したものと認められる乙第八号証および証人戸田軍平、長沢吾作、加茂敏雄、池田幾郎、青代勘一郎、小堺昌子、宮川久昭(第二回)の各証言ならびに原告本人尋問の結果を総合すると、原告は昭和三二年四月前記田海工場の用地としてその所有にかかる農地一反七畝一三歩を被告会社に売り渡したことがあつたが、自由民主党青海町支部の選挙活動などを通じかねてから親交のあつた前記訴外戸田軍平から、黒姫山の石灰石開発により青海町を大工業都市に発展させるためには工場誘致が必要であり、被告会社が明星セメント誘致反対の理由としてかかげている問題は、明星セメント工場に集塵装置が付けられ、北陸線が複線化されれば解決できる問題であり、セメントの需要は年ごとに増大しているのであるから過剰生産になることはないと説明されたので、明星セメント誘致運動に共鳴し、かねて訴外高松タマから処分を依頼されていた農地を明星セメントに売り渡し、工場誘致促進期成同盟会、町政刷新同志会、民主化クラブおよび青海町自由民主党青年部などに加入し、前記昭和三四年の地方選挙にあたつては誘致派の町長立候補者加藤義平、町議会議員立候補者戸田軍平を推し、活溌な選挙運動を行なつたので前記のような情勢のもとにある青海工場においては被告会社および労働組合の方針にしたがわない異端者として注目されていた。昭和三三年一二月一日、同月三〇日の二回にわたつて電化従業員革新同盟の名義で、明星セメント誘致反対をとなえる被告会社の態度は横暴であり、これに同調した組合は御用組合であるとして、被告会社と組合を痛烈に批判するビラが青海町一帯に配布された、そこで組合はこれらのビラ配布が前記昭和三三年五月二八日の組合決議をひ謗する行為であると判断し、同月二三日の中央委員会において右ビラの出所や革新同盟の実体などを調査するため、調査委員会を設置し事実調査を開始した、ところでかねてから青海工場の幹部職員および組合の反誘致派を支持する選挙活動を不快に思つていた原告は、自己と同じく誘致派のため選挙運動をしていた青海工場の従業員加藤廉次郎、松沢衛、小川金明、加茂敏雄、松木正二郎、上谷栄他数名およびもと被告会社従業員青代勘一郎などと連絡をとり同訴外人らとともに、第一に誘致派の選挙を有利に進める運動をし、第二に前記青海工場の幹部職員などによる選挙干渉、農地買収競争にもとづく従業員への圧迫、安全運動をめぐつて生じた労働強化によつて畏縮した従業員の心を明るくするため、右の問題にかんする具体的な資料をしゆう集し、組合などを通じて被告会社に抗議しようと考え、組合執行部のなかでも前記のような被告会社の経営方針、青海工場幹部職員らの前記行動およびそれに同調している組合の態度に批判的であつた組合執行委員宮川久昭、長沢吾作および山本善一の三名をさそい、昭和三四年三月一〇日より同年四月一四日頃までの間前後六回にわたり糸魚川市内の相沢飲食店および田鹿旅館で会合を開き、同会を職場を明るくする会と名付け、同会合において主として前記第二の問題に関連して各自が経験した青海工場幹部職員らによる圧迫(以下これをたんに「人権問題」という。)の事実を報告し、さらに広く青海工場の従業員より人権問題にかんする事件の資料の提供を受け、組合が加入している新潟県西頸城郡地区労働協議会あるいは右地区を選挙地盤とする日本社会党代議士猪又浩三を通じて法務省人権擁護局などに訴えこれを是正しようと考え、職場を明るくする会名義で、被告会社および青海工場幹部職員の選挙干渉、不当な労務管理にたいして何ら見るべき抗議をしない組合幹部を激げしく批判し、他団体の援助を求めようと訴えるなどを内容とするビラを昭和三四年四月頃から数回発行し、青海工場の構外で同工場従業員などに配布した、ところが前記誘致派の町議会議員立候補者戸田軍平、小川正雄が青海工場の警備員による選挙運動妨害の事実を訴え自派への投票を依頼するため右職場を明るくする会に出席したこと、同会のメンバーがいずれも被告会社の前記経営方針に批判的であり、その多数のものが誘致派のために選挙運動をしていたことから、右調査委員会は、右革新同盟は訴外戸田軍平、青代勘一郎、加茂敏雄および原告らの誘致派と執行委員たる宮川久昭、長沢吾作、山本善一とが互に気脈を通じ明星セメント工場誘致運動を有利に導くために結成したもので、同会は明星セメントより資金援助を受け同会社の幹部職員の指示によつて活動し、右の目的を達成するため被告会社と組合をひ謗し、両者を離間させるために前記のようなビラを配布したものであり、職場を明るくする会は右革新同盟の実体を隠す目的で名称だけを改めたものであつて、その実体は革新同盟と同一であると断定した、右調査委員会の報告を受けた中央委員会は、昭和三四年四月一八日組合規約により処罰委員会を設置し、同会の答申にもとづいて同月二〇日右訴外宮川久昭、長沢吾作、山本善一を権利停止一年に、訴外松沢衛、上谷栄、加茂敏雄、松木正二郎を権利停止六カ月にそれぞれ処し、被告会社も右の者を出勤停止、減給などの懲戒に付したことが認められ、右認定に反する前掲乙第八、九号証、第一二号証の二、第一四号証の一、二および一二、一三、第二一号証の二の記載ならびに証人加茂敏雄の証言の一部はつぎに説示する理由により措信できないし他に右認定を動かすに足る証拠はない。

前掲乙第七号証の一ないし四、第八号証、第九号証、第一四号証の五、一二および一三、第二一号証の二、証人戸田軍平、加茂敏雄の各証言に前記認定事実を総合すると、訴外加茂敏雄は昭和二二年七月頃から青海工場に勤務し製袋係で工員をしていたが、昭和三三年二月頃衆議院議員選挙において訴外田中彰治候補のため選挙運動をしたことから当時同候補の選挙責任者であつた訴外戸田軍平と知り合い、同訴外人より工場誘致の必要性を説かれたので前記町政懇談会、青海町自由民主党青年部などに加入し、昭和三四年四月の地方選挙においては戸田軍平の選挙を応援し、原告および前記訴外青代勘一郎らとともに活溌な選挙運動を行ない、前記職場を明るくする会の一員として人権資料のしゆう集、ビラの作成配布などに関与したが、昭和三四年四月二〇日前記認定のような理由により組合および被告会社より懲戒に処せられるや、同年六月二一日自己の名義で職場を明るくする会は革新同盟を改名したもので、同会の目的は明星セメント誘致に反対する組合の革命をはかり、組合を分裂させて会社と組合の間を離間させ明星セメント誘致を有利にすることである旨を記載した「私は訴える」と題するビラを青海工場の従業員に配布し、翌七月一〇日前記訴外宮川久昭、長沢吾作、山本善一の除名にかんする組合の第二次処罰委員会において被告会社主張のような革新同盟の構成、会の目的などを陳述したこと、右訴外人は製袋係工員であるが、本件訴訟ならびに当庁昭和三五年(ワ)第七二号雇傭契約存続確認請求事件における組合申請の証人として証言するため昭和三五年六月頃から前記勤労部長塩田新市に命じられて青海工場事務所内の放送室で、被告会社が前記減給、出勤停止などの懲戒処分を行なうにあたり関係者より事情を聴取して作成した調書を、勤労課の職員斉藤某よりみせられてこれをメモしたり、組合の貸工(組合より給与の保障を受け労働時間中組合業務に従事すること)となつて組合事務所において前記調査委員会の調査資料などを見せられ、同年九月一九日頃まで通算一カ月以上証言の準備をしていたことが認められる。右事実と職場を明るくする会にかんする前記認定事実を総合すると、革新同盟および職場を明るくする会にかんする同証人の証言ならびに前掲乙第八号証、第一四号証の一二、一三および一五の記載の一部はにわかに措信できない。さらに前掲乙第二一号証の二のうち、証人松木正二郎の証言として昭和三四年六月一三日頃「おとみの店」こと青代勘一郎方前路上で、訴外加茂敏雄および訴外宮川久昭が「革新同盟はおれたちがやつたんだ」と放言したのを聞いたことがある旨の記載があるが、甲第三一号証(とくにそのうち九頁以下)、前掲乙第二一号証の二、および原告本人尋問の結果によれば、その頃右訴外宮川らは革新同盟に関係のないことを主張し、新潟県地方労働委員会および当裁判所に懲戒処分取消の提訴をしようとしていたことが認められるうえ、前示認定のとおり革新同盟は職場を明るくする会と関係がないことが認められるので、この点からも右証人松木正二郎の証言記載はにわかに措信できない。また同じく右証人の証言として昭和三四年五月頃訴外宮川久昭の手紙を戸田軍平にとどけ、同手紙の趣旨にしたがつて革新同盟のビラおよび職場を明るくする会のビラ各第一、二報の四種を右訴外戸田軍平より受け取り、訴外長沢吾作の自宅に運んだ旨の記載があるが、該記載は戸田軍平の証言および原告本人尋問の結果に照らすときは、これをにわかに信用することはできない。つぎに前掲乙第九号証は前示認定のとおり革新同盟が職場を明るくする会と関係がないことならびに同号証がいかなる資料にもとづいて作成されたものであるか明らかでないことなどを勘案すると、その記載をにわかに信用することはできない。

以上の理由により原告が訴外青代勘一郎、加茂敏雄、長沢吾作、山本善一と提携し訴外戸田軍平の傘下で明星セメント誘致運動を有利に導くため昭和三三年七月中に右訴外戸田軍平らと謀議し、被告会社と組合を離間させるため同年一二月八日、三〇日の二回にわたつて「電化従業員革新同盟」なる名義でビラを発行し、昭和三四年三月三一日右の電化従業員革新同盟なる名称を「職場を明るくする会」と改め、同会名義で被告会社がほしいままに横暴をふるつている旨の虚構の事実を前提として被告会社および組合を非難攻撃する内容のビラを発行したとの事実は認定し難い。

(二) 抗弁1の(三)の(ロ)の(3)の事実について

前記認定のとおり、原告は工場誘致促進期成同盟会、町政刷新同志会、民主化クラブおよび青海町自由民主党青年部に加入していたものであるが、後記4のような理由により右諸団体に加入したことを被告会社主張のような経営方針背反行為として懲戒事由に該当するものと評価することは妥当でない。

原告が昭和三四年一月二四日および同年二月七日に自由民主党青海町支部の役員会に出席したことは当事者間に争いがないが、同役員会において被告会社の明星セメント誘致反対の方針をひ謗し、被告会社が明星セメント誘致賛成者に尾行をつけるから、逆にその尾行に尾行をつけてこれを阻止するとともに、その非行について証拠資料をしゆう集するようにつとめるべきだとの趣旨の提案をした事実は、これにそう証人加茂敏雄の証言は措信できないし他に右事実を認めるに足る証拠はない。なお右日時頃原告が青海町自由民主党青年部の役員会に出席して同趣旨のことを発言した事実も認められない。また同年六月二二日前記戸田軍平とともに町政懇談会に出席したことは当事者間に争いがないが、後記4のような理由により町政懇談会に出席したことを被告会社主張のような経営方針背反行為として懲戒事由に該当するものと評価することは相当でない。

(三) 抗弁1の(三)の(ロ)の(4)の事実について

成立に争いのない甲第三八号証の二、証人斉藤正美の証言および原告本人尋問の結果によれば、原告が、青海工場警備係長鶴渕雅雄より昭和三三年一二月三〇日頃口頭で原告ら警備員に与えられた警備に関する注意指令(年末年始の特別警戒、部外者の出入の監視などについて、)をメモしたこと、同三四年一月末頃、青海工場の北門および南門で同門詰所に備え付けてある社宅係員、警備員のタイムカード、従業員名簿、職員の異動通告書などを調査しそれをメモしていたことが認められるが、前掲甲第三八号証の二および原告本人尋問の結果によれば、原告は早くから誘致派と目され前記池田幾郎より誘致派のための選挙活動をやめなければ懲戒解雇する旨申し向けられたので、被告会社を解雇された場合には被告会社の反誘致運動の内容を曝露して該解雇の効力を争う資料にしようと考え右のようなメモ、調査などを行なつていたものと認められ、被告会社主張のように昭和三三年五月二八日訴外戸田軍平より被告会社に出入する外来者を内偵尾行し、その動静をメモして同訴外人に提供するよう要請されたために、右のようなメモ行為をし、かつそのメモを右訴外戸田に提供したとの事実はこれにそう証人加茂敏雄の証言は措信できず他に右事実を認めるに足る証拠がないので、この点にかんする被告会社の主張は理由がない。

4  結語

前記認定のとおり原告は被告会社の明星セメント誘致反対という経営方針を知りながら、明星セメント誘致運動を目的とする工場誘致運動に協力的であつた町政刷新同志会、民主化クラブ、青海町自由民主党青年部に参加し、誘致派の戸田軍平のために選挙運動を行なつたことが認められるところ、原告はかかる活動は政治活動であるから就業規則所定の会社構内での政治活動にあたらない限り、右活動を経営方針背反行為として禁止し、懲戒事由とする被告会社の行為は憲法第二一条に違反し無効である旨主張し、被告会社は憲法第二一条所定の集会、結社および言論、出版その他一切の表現の自由の保障も絶対的なものではなく、右の諸権利を理由にして他人の権利を侵すことは許されないものであるうえ、原告が自己の自由意思にもとづき被告会社と雇傭契約を締結した以上、該契約により右にあげた個人の自由も服務に相応する制限を受けなければならない旨抗弁するのでこの点について検討する。

政治活動の自由、言論の自由は憲法の保障する基本的人権であるから、使用者といえども原則的には従業員が一市民として有する政治活動、言論の自由にたいし干渉しえないものというべきであるが、政治活動ないし言論の自由も決して絶対的なものでなく他の基本的人権、自由との相関関係において相対的に決せられるべきものであつて、それは現代の社会秩序の要請する制約に服すべきものである。また、右の憲法上の諸権利は本来国家にたいする人民の権利としての性質をもつものであるから、従業員が自己の自由意思にもとづき私人たる使用者と雇傭契約を締結した以上、該契約より生ずる私法関係上の義務によつて右の諸権利につき一定の制約を受けることのあるのは当然である。

しかしながら、従業員の自由意思による同意にもとづく場合であつても、基本的人権そのものを否定することは許されず、従業員が一市民として有すべき権利自由の侵害にまで及ぶことはできないのであるから、何等の合理的理由なしにかかる権利を制限することはできないものというべきである。雇傭契約にもとずき使用者は従業員より労務の提供を受けこれを企業体の事業目的に供する権利を有するものであるから、右の労務をもつとも有効適切に利用するため、勤務時間中あるいは使用者の管理する事業所などの施設における従業員の政治活動ないし言論の自由を、企業体の事業目的達成、生産性の昂揚の目的に必要な限度において制限することは合理的理由にもとづく制約として是認されてよいが、右の範囲を超えて従業員が一市民として有する右の諸権利を一般的包括的に禁止することは許されないものというべきである。被告会社は前記認定のとおりセメント、石灰窒素および有機合成化学製品などの製造販売を業とする株式会社であるが、企業防衛のため競業会社の進出を阻止することを経営方針とし、該方針のもとに地方選挙において特定の政治政策を支持し、あるいは立候補者を応援するなどの政治活動をすることも被告会社の経営権の範囲内の事項として容認されてしかるべき事項であるが、従業員が勤務時間外に被告会社の事業所などの施設外で右の経営方針に反する政治的活動を行うことを一般的に禁止し、懲戒権をもつてこれを強制することは、従業員が一市民として有する権利自由の不当な侵害として許容されないものというべきである。これを本件についてみるに、原告が勤務時間中あるいは青海工場の構内で前記工場誘致促進期成同盟会などの諸団体の一員として明星セメント誘致運動をし、あるいは前記戸田軍平の選挙運動を行なつたことを認めるに足る証拠はないから、原告の前記行動を被告会社主張のような就業規則所定の経営方針背反行為として懲戒解雇事由に該当するものと評価することは相当でなく、この点にかんする被告会社の主張は理由がない。

三  解雇の効力

被告会社は原告は数回の注意戒告にもかかわらず、いささかの反省の態度をも示さず職務怠慢行為を反覆累行したものであり、その経営方針背反行為は極めて悪質な利敵行為というべきであつて、以上の行為は就業規則第一五四条第三号、第五号、第一一号および第一二号にそれぞれ該当する旨主張するが、被告会社主張の前記懲戒解雇事由のうち就業規則違反行為と認定されるものは、前記抗弁1の(一)の(ホ)の遅刻(前記一の5の認定参照)による就業規則第三五条第二号第八号違反、抗弁1の(一)の(ヘ)の非常信号用外灯の点灯と始末書不提出(前記一の6の認定参照)による右規則第五条、第三五条第五号、第三六条第二号違反、抗弁1の(二)の(ニ)流言ひ語(前記二の2の(四)の認定参照)による右規則第三六条第一一号違反の三つの行為にすぎず、しかもいずれも軽微な違反行為であると認められるので、右の各行為が昭和三二年一月の譴責処分後に行なわれたものであることを勘案しても、右の就業規則違反行為をもつてただちに原告が誠実に職務に従事しなかつた(同規則第二一条)ものとすることはできない。また右にあげた三つの就業規則違反行為以外の原告の行為のなかにも警備員として多少行きすぎや遺憾とされる点がないでもないが、右行為の多くは明星セメント誘致問題をめぐつて異常な状態におかれた青海工場の従業員の行為として恕すべき点があり、しかもいずれも軽微な行為であるから前記各行為を累計集積することによつても、原告が就業規則第一五四条第三号所定の「業務に怠慢で改悛の見込みがない、」同第五号所定の「職務に関する上長および取締の任にあたる者の命令に服しない、」者であるとはいいえないし、また原告の前記就業規則違反行為をさして「会社の諸規定に違反し情状が特に重い行為」(右規則第一五三条第三号)であり、かつかかる行為が再度におよんだもの(右規則第一五四条第一一号)とはいえず、かつ原告に右規則第一五四条第一号ないし第一一号に準ずる行為があつたとは認められないので、結局原告には被告会社の主張するような懲戒解雇の事由に該当する就業規則違反の事実はないものというほかはない。

右認定のとおり原告に被告会社主張の就業規則所定の懲戒解雇事由に該当する事実が認められないとする以上、原告主張のその余の本件懲戒解雇の無効理由にたいする判断をするまでもなく、本件懲戒解雇は就業規則の適用を誤つた無効なものといわねばならない。

第三結論

以上の次第であるから原告は、原告と被告会社との間に昭和二二年八月一日成立の被告会社を傭主とする期限の定めない雇傭契約にもとずき右同日より現在にいたるまで引続き被告会社の従業員たる地位を有しているにもかかわらず、被告会社はこれを争つているのであるから、原告はこれが確認を求める利益を有するものというべきであり、したがつて原告が被告会社にたいし、右の雇傭契約が存続することの確認を求める本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉井省己 岡垣学 元吉麗子)

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